ズルをすれば罪悪感に苛まれる——誰もがそう予測する。ところが実験室のデータは逆を示した。チートした人は、しなかった人よりも気分が高揚していたのだ。妬んだ相手の不幸に脳の報酬系が発火し、嘘を重ねるほど脳は不正に慣れていく。「悪い行為が幸福に変換される」メカニズムを、実証研究だけで追いかける。
Ruedy et al.(2013)の6実験が示した「チーターズ・ハイ」——不正直後の気分はむしろ上がるという発見、Takahashi et al.(2009, Science)の妬みとシャーデンフロイデのfMRI研究、Garrett et al.(2016)の「嘘を重ねると扁桃体の反応が減衰する」という不正のエスカレーション機構、そしてCarlsmith et al.(2008)の「復讐は気分を晴らさない」という逆転。罪悪感を「税金」として読むと、悪事の快楽の会計構造が見えてくる。
ルーディ、ムーア、ジーノ、シュヴァイツァーは2013年、6つの実験からなる研究を発表した。事前の予測調査では、参加者の大半が「課題でズルをしたら、罪悪感やネガティブな感情が増えるだろう」と答える。ところが実際に問題解決課題でチートする機会を与えると、チートした人は、しなかった人よりも一貫してポジティブ感情が高かった。研究チームはこれを「チーターズ・ハイ(cheater's high)」と名付けた。
重要なのは、この高揚が不正で得た報酬の金額では説明できなかったことだ。うまく出し抜いたという自己満足そのものが快感の源であり、自己申告の成績が信頼できないと本人が認めた後でさえ、高揚は持続した。ただし成立条件がある。これらの実験の不正には、顔の見える明確な被害者がいない。被害が抽象的であるほど、罪悪感という請求書は届きにくくなる——これが最初の手がかりになる。
他人の不幸を喜ぶ感情——シャーデンフロイデ——は、悪意の快楽のもっとも日常的な形だろう。高橋英彦らは2009年、この感情の神経基盤をfMRIで捉えた研究をScienceに発表した。参加者が「自分より優れていて、自分に関係の深い人物」を想像すると、妬みの強さに応じて前部帯状回——身体の痛みの処理に関わる領域——が活性化した。そしてその人物に不幸が降りかかるシナリオでは、線条体——報酬系の中核——が活性化した。
さらに決定的だったのは、2つの研究をつなぐ相関だ。研究1で妬みに強く反応した(前部帯状回の活動が強かった)人ほど、研究2で相手の不幸に対する報酬系の反応も強かった。妬みという痛みが先にあり、その痛みが解消される瞬間が快楽として記帳される——羨望を扱った記事で見た良性/悪性羨望の区別の、これが神経科学版である。隣の芝生はサルにも青いで見たとおり、比較の感情は進化に根を持つ。その裏面が、比較相手の転落を喜ぶ回路だ。
ここが核心。シャーデンフロイデは「性格の悪さ」ではなく、妬みという痛みの鎮痛として報酬系が発火する仕組みの問題だった。悪意の快楽は、多くの場合、先行する痛みとセットで会計されている。
悪意の快楽が最も公然と許されるのは、それが「正義」の形をとるときだ。ドゥ・ケルヴァンらは2004年、経済ゲームで自分を裏切った相手に罰を与える場面の脳活動を計測した。結果、裏切り者への処罰の決定は、背側線条体——報酬の期待に関わる領域——を活性化させた。しかもこの領域の活動が強い人ほど、自腹を切ってでも(自分のコストを払ってでも)相手を罰しようとした。研究チームはこれを「利他的処罰」と呼ぶ——集団の規範を守る行為に、進化は快楽という報酬を用意していた、という解釈だ。
この回路は、社会が制裁を娯楽として消費する現象——炎上への参加、転落したセレブへの嘲笑——の下部構造でもある。「あいつは罰されて当然だ」という正当化が成立した瞬間、他人を傷つける行為は罪悪感の課税対象から外れ、報酬系は隠れる必要がなくなる。悪事の快楽の中で、これが最も強力で、最も気づかれにくい変換装置だろう。
では、悪事の快楽に「慣れ」はあるのか。ギャレット、ラッザロ、アリエリー、シャロットは2016年、80人の参加者に自己利益のために嘘をつける課題を繰り返させ、脳活動を追跡した。最初の嘘では、扁桃体——情動反応の中枢——が強く反応する。だが嘘を重ねるごとに反応は減衰し、その減衰の幅が、次の嘘がどれだけ大きくエスカレートするかを予測した。小さな不正が大きな不正へ滑り落ちていく「滑りやすい坂(slippery slope)」の、生物学的なメカニズムが捉えられた形だ。
SURPLUSの読者なら、この曲線に見覚えがあるはずだ。昇進にも結婚にも宝くじにも人は慣れていく——失業を扱った記事で見た享楽適応である。Garrettらの発見は、その適応が不正の不快感にも働くことを示した。罪悪感は固定資産ではなく、使うほど目減りする消耗品だった。悪事の快楽が「割に合う」ように感じられていく背景には、道徳感情の減価償却がある。
ここまでの研究を並べると、一つの会計構造が浮かび上がる。悪い行為の利得——金銭、地位、優越感、鎮痛——には、本来罪悪感という税金が課される。この税がまるごと徴収されるなら、悪事は割に合わない。だが実験が示したのは、この税金を回避する仕組みが、ごく普通の心の中に標準装備されているということだ。
チーターズ・ハイの成立条件。被害者の顔が見えない・被害が組織や統計に薄く分散している場合、罪悪感の請求書は届かない。「会社相手なら」「保険だから」という言い訳の構造。
バンデューラが定式化した正当化の心理機構。大義による正当化、婉曲な言い換え、責任の分散、被害者の非人間化などにより、行為の道徳的な意味づけ自体を書き換えて課税対象から外す。
Garrettらの扁桃体減衰。罪悪感は繰り返しで目減りする消耗品であり、初回の不快感を過ぎれば「手取りの快楽」は増えていく。小さな不正の常習化が大きな不正の入口になる理由。
利他的処罰とシャーデンフロイデ。「相手が悪い」「当然の報いだ」という枠組みが成立すると、攻撃の快楽は制裁の満足として非課税化され、報酬系は堂々と発火する。最も強力な変換装置。
なお、モラル・ライセンシング——善行の直後に悪事への「許可」が下りる現象(Mazar & Zhong 2010)——は、この会計の別の側面だ。善行が税額控除のクレジットとして機能し、次の悪事の課税を相殺する。
ここまで読むと、悪事の快楽は「節税さえ成立すれば割に合う」ように見えるかもしれない。だが最後に、この会計の時間軸を狂わせる研究がある。カールスミス、ウィルソン、ギルバートの2008年の実験では、集団を裏切ったフリーライダーを罰する機会を与えられた人々は、「罰すればスッキリするはずだ」と予測した。ところが実際に罰した人は、罰する機会がなかった人よりも、その後の気分が悪かった。処罰は相手への反芻を長引かせ、罰せなかった人の方が先に忘れて前に進んでいたのだ。
これは後悔の時間的逆転を扱った記事や経験する自己と記憶する自己の記事で見てきた、感情予測エラーの系譜に連なる発見だ。悪意の快楽は、実行の瞬間には確かに存在する——実験データはそれを否定しない。だが「その後どれだけ続くか」の見積もりを、人は系統的に間違える。チーターズ・ハイの研究も、追跡したのは直後の感情までであり、長期の帳尻は別の問題として残っている。
ここが結論。悪い行為が快楽に変換されるメカニズムは実在する——被害者の抽象化、道徳的離脱、慣れ、正義への転換という4つの節税スキームだ。ただしこの快楽の見積もりは短期に偏っており、復讐の実験が示すように、長期の帳簿では逆転しうる。このメカニズムを知る価値は、悪事の勧めではなく、自分の中の「非課税化」が働いた瞬間に気づけることにある。
※本記事は「悪い行為が快をもたらしうる」という実証研究の紹介であり、いかなる不正・攻撃行動も推奨するものではありません。紹介した研究の多くは実験室の限定的な状況を扱っており、現実の不正行為の帰結(法的責任・関係の毀損・長期の心理的コスト)は実験の測定範囲外です。
本記事の要約・引用元。数値は各文献の概算値に基づく。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
Amazonのアソシエイトとして、meclGGは適格販売により収入を得ています。