さっきまで満足してきゅうりを食べていたサルが、隣のサルがぶどうをもらった瞬間、そのきゅうりを実験者に投げつけて激怒する——。「他人と比べて損をした」と感じて怒るのは、人間だけの業ではない。相対的な幸福は、どうやら群れで生きる動物に刻まれた本能らしい。第1回「ルイ14世 vs 100円の抗生物質」で置いた「幸福は相対的だが、絶対的尺度も存在する」という問いを、今度は進化の側から掘り下げる。
相対比較や"非合理な選択"は人間のバグではなく、進化が組み込んだ機能だという視点。きゅうりを投げるサル、おとりに騙されるカエル——動物実験が示す「幸福の相対性」の深い起源。そしてなぜ社会的な種にだけそれが現れ、爬虫類には見当たらないのかという、少し不気味で示唆的な問い。
2003年、霊長類学者のサラ・ブロスナンとフランス・ドゥ・ヴァールが、後に何百万回も再生される有名な実験を発表した。舞台はオマキザル(capuchin monkey)——決して「カプチーノ」ではない、賢い南米のサルだ。
実験はシンプルだ。2匹のサルを隣り合わせに座らせ、「小石を実験者に渡したら、ごほうびがもらえる」というタスクをさせる。両方にきゅうりを渡している間、サルたちは黙々と、満足そうに働き続ける。
ところが、片方にだけごほうびをぶどう(大好物)に切り替えると、状況は一変する。きゅうりしかもらえない方のサルは、さっきまで喜んで食べていたそのきゅうりを、実験者に投げつけて拒否する。同じ仕事、同じ報酬。何も損はしていない。それでも「隣がいい思いをしている」というだけで、怒るのだ。
これが「不公平への嫌悪(inequity aversion)」だ。サルは、きゅうりの絶対的な価値で行動していない。相手と比べた相対的な格差で行動を変える。ブロスナンらは、これを「不公平を嫌う心の、進化的にとても古い起源」の証拠だと論じた。
相対性のワナは、怒りだけではない。人間には「おとり効果(decoy effect)」という有名なクセがある。3,000円の並と5,000円の上で迷っているとき、7,000円の特上(=おとり)を見せられると、なぜか真ん中の5,000円を選びやすくなる。いわゆる松竹梅の法則だ。
価値が「絶対値」ではなく「選択肢の並び」で歪む、この非合理。驚くことに、これも人間の専売特許ではない。
ミツバチやハチドリは、花の「蜜の量」と「そこまでの距離やリスク」を天秤にかけて、合理的に選んでいるように見える。ところが、あえて明らかに劣った第3の選択肢を混ぜると、それまで選ばなかった花を急に選び始める。ムクドリやカケスでも同様の歪みが報告されている。
2015年、リアとライアンがScience誌で報告したのは、トゥンガラガエルのメスの配偶者選び。2匹のオスの鳴き声を聴かせると好みははっきりしているのに、明らかに魅力の劣る3匹目を混ぜると、メスは「本来なら選ばなかった方のオス」を選んでしまう。恋の選択すら、相対比較で歪む。
ここが効いてくる。おとり効果が、サル・鳥・虫・カエルにまで広く見つかるということは——この"非合理さ"は人間の文明が生んだバグではない。むしろ生物にとってかなり根の深い、標準装備だということだ。
ここで冒頭の問いに戻ろう。哺乳類、鳥、虫、両生類——ここまで来ると、逆に気になる。トカゲやヘビのような爬虫類も、隣と比べて悔しがるのだろうか?
結論から言うと、そこはぐっと静かになる。不公平への嫌悪がはっきり確認されているのは、オマキザルやチンパンジーなどの霊長類、カラスの仲間、イヌ、そして一部の魚(掃除魚など)——いずれも群れや協力関係の中で生きる、社会性の高い動物に偏っている。
単独で生き、縄張りを守り、他者とほとんど協力しない動物では、「隣と比べて損得を測る」心理を示す証拠は、いまのところ乏しい。もっとも、これは「爬虫類には無い」と証明されたわけではなく、研究が少ない領域でもある。だが傾向ははっきりしている。
考えてみれば筋が通る。協力して獲物を分け合う社会では、「自分だけ損な取り分になっていないか」を監視する能力は、生き延びるうえで死活的だ。不公平を検知して怒る心は、協力を成り立たせるためのセンサー——そう考えると、サルがきゅうりを投げる理由も見えてくる。
ここで、このメディアの出発点だった問いに戻ってくる。第1回「ルイ14世 vs 100円の抗生物質」で見たのは、「幸福は相対的だが、時代を超えた絶対的な尺度もちゃんと存在する」ということだった。
ルイ14世が全財産でも買えなかった抗生物質を、私たちは100円で手にしている。絶対的な物差しで見れば、現代人は歴史上どの王より豊かだ。なのに、私たちはちっともそう感じない。なぜか——。
その答えの半分が、ここにある。私たちの脳は、数百万年かけて「隣と比べる」ように配線されてきた。絶対的な豊かさを味わうための回路より、相対的な格差を検知する回路の方が、はるかに古くて強い。だから王より豊かでも、SNSで一人の成功者を見ただけで、きゅうりを投げたくなる。人間の場合、この配線はイースタリンのパラドックス(所得が増えても幸福度が増えない現象)や、年収ではなく「順位」が幸福を決めるという研究として、繰り返し観測されている。
相対的に感じてしまうのは、あなたの弱さではない。それは協力して生き延びるために進化した、由緒正しいセンサーだ。だが同時に、Art1で見たように——絶対的な物差しは、確かに存在する。本能に気づくことは、その物差しを時々思い出すための、最初の一歩になる。
ここまでの実験は、それぞれ2003年と2015年の単発の論文だった。都合よく再現しない研究では困る。この分野には2010年代以降、種を跨いだ追試とメタ分析が積み上がっている。
ブロスナンとドゥ・ヴァール自身が2014年、Science誌に「不公平への嫌悪の進化」と題する統括レビューを発表し、初期の批判(「怒りは不公平の検知ではなく単なる欲求不満では」という反論)への反証も含め、霊長類・イヌ・カラス類にまたがる10年分の追試結果を整理した。単発の実験ではなく種を跨いだ蓄積として支持されている。おとり効果についても、パリッシュ、エヴァンズ、ベランが2015年、人間に近いアカゲザルの知覚課題で同じ歪みを確認し、カエルやハチだけの現象ではないことを示した。さらにラティとビークマンが2011年、神経系すら持たない単細胞の粘菌(Physarum polycephalum)でも、選択肢の並べ方次第で一貫しない選択をすることを報告している——相対比較のクセは、脳の複雑さの産物ですらないのかもしれない。
「隣の芝生は青い」は、ことわざであると同時に、数百万年の進化の産物だ。サルも、鳥も、カエルも、程度の差こそあれ同じワナを持っている。それは恥ずべき弱点ではなく、社会的な生き物であることの証でもある。
ただ、人間には他の動物にない武器が一つある。自分がきゅうりを投げそうになっているのを、外から眺める力だ。相対比較が本能だと知っていれば、SNSで誰かのぶどうを見た瞬間に、「あ、いま古い回路が反応しているな」と一歩引ける。本能は消せないが、気づくことはできる。
次回は、この「相対的にしか幸福を感じられない生き物」が、それでも時代を超えて豊かさを比べるために編み出した絶対的な物差しの話に戻る。まずは、200年分の書籍に残された言葉から、過去の人々の気分を復元する驚きの手法を——そしてその次には、土から掘り出した人骨の身長までも、物差しにしていく。
本記事の要約・引用元。実験の詳細は各原典に基づく。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
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サルは、隣が良い報酬をもらった瞬間、同じきゅうりを実験者に投げつけて怒りました。この漫画の主人公たちも、絶対的な実力ではなく「自分より才能のある誰か」との比較に苦しみます。天才・エレンと努力型の光一、二人の対比を通して、相対比較という進化の副産物を追体験できる一冊です。
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