一極集中は現代日本だけの現象ではない。ローマ、長安、バグダッド、江戸——時代も大陸も違う4つの都市が、同じように人口を吸い込み、それぞれの時代の「世界最大都市」になった。この暴走のような集中を支えていた装置は、実はどれも似ていた。
世界初の100万都市ローマを支えた穀物輸送という国家事業の規模、長安を苦しめた水運の脆さ、そして江戸を最速で世界最大都市に押し上げた参勤交代という強制装置まで。
前回の記事まで見てきたのは、なぜ個人が地方を離れ一極集中都市へ向かうのかという、動機の側の話だった。今回は視点を変える。そもそも「一極集中」という現象そのものが、人類史上くり返し起きてきたことに注目したい。
現代日本の東京一極集中を憂う声は多いが、似たような極端な人口集中は、古代ローマにも、唐の長安にも、アッバース朝のバグダッドにも、江戸時代の日本にもあった。しかもいずれも、その時代の「世界最大都市」だった。偶然の一致にしては、あまりにも繰り返されている。
歴史人口学者チャンドラー(1987)とモデルスキー(2003)の推計では、ローマは西暦2世紀ごろまでに人口およそ100万人に達し、人類史上おそらく最初の「100万都市」になった。だがローマ周辺の土地は、そこまでの人口を養えるだけの穀物を生産できない。
リックマン(1980)の研究によれば、ローマは年間およそ4000万モディウス(約27万2000トン)もの穀物を必要とし、そのほとんどをエジプト・北アフリカ・シチリアからの輸入に頼っていた。オスティアとポルトゥスの港湾には巨大な人工港が築かれ、そこからテヴェレ川を遡って穀物庫(ホルレア)へ運ばれる——このアンノナと呼ばれる国家事業だけで、成人男性市民およそ20万人分の穀物配給を支えていた。
ここが核心。ローマの人口上限を決めていたのは土地の広さでも建物の高さでもなく、1年間に地中海を渡ってこられる穀物船の総トン数だった。世界最大の都市であることは、同時に世界最大の物流依存を意味した。
ローマが衰退したあと、世界最大都市の座は幾度も入れ替わる。唐代の長安は最盛期に人口80万〜100万人規模に達し、当時の世界最大級の都市だった。だがその食料は、渭水を通る運河輸送に完全に依存していた。
トゥイチェット(1963)の研究によれば、唐初期に長安へ運ばれた穀物は年間20万石ほどだったが、都市の膨張に追いつくため、高宗期には250万石にまで引き上げられた——わずか数十年で10倍以上の輸送力増強が必要になった計算だ。運河は自然の川を利用した人工水路であり、渇水や土砂の堆積で輸送力が落ちれば、都市の胃袋を満たす手段はほかになかった。
一方、762年に建設が始まったバグダッドは、建設からわずか数十年で当時の世界最大都市に躍り出た。人口推計には幅があるが、モデルスキー(2003)は西暦1000年ごろのバグダッドを150万人規模と見積もる。急造の都市が、これほど急速に世界最大へ駆け上がった例は他に少ない。
渭水運河への依存。輸送力は数十年で10倍以上に引き上げられたが、天候や川の状態に左右される単一ルートのままだった。(Twitchett, 1963)
建設からわずか数十年で世界最大都市級の人口に到達。ティグリス川水運とシルクロード交易網が急成長を支えた。(Modelski, 2003)
ここが核心。大陸も文化圏もまったく違う二つの都市が、同じ時代に同じ現象を見せている。世界最大であることの代償は、常に単一の生命線への依存という形で現れる。
ローマ・長安・バグダッドは、いずれも交易と統治の中心地として自然に肥大化した。しかし江戸の一極集中は、もっと露骨に人為的だった。
徳川幕府は1635年、参勤交代を制度化した。全国の大名は1年ごとに自国と江戸を往復し、江戸には妻子を人質同然に常駐させることを義務づけられた。ヴァポリス(2008)の研究が示すように、この往復と江戸屋敷の維持には藩財政の大きな割合が費やされ、大名が力を蓄えて幕府に反旗を翻すことを事実上封じる仕組みとして機能した。
結果として、大名行列と家臣団が定期的に江戸へ流入し続け、江戸の人口は1720年ごろには推定130万人に達し、当時の世界最大都市になった。ローマや長安、バグダッドが「モノ」の輸送で支えられていたのに対し、江戸を支えたのは「ヒト」を強制的に移動させる政治的な装置だった。
ここが核心。ローマ・長安・バグダッドが「何を運び込めるか」で膨らんだ都市だとすれば、江戸は「誰を移動させられるか」で膨らんだ都市だった。手段は違っても、行き着く先は同じ、世界最大の一極集中都市だ。
4つの都市に共通するのは、単純な「人が集まりたがった」という説明では足りないということだ。ローマの港湾網、長安の運河、江戸の参勤交代——集中の背後には、必ず巨大で、しかも普段は見えにくいインフラや制度が存在した。都市の華やかさの裏には、常にそれを支える見えない余剰投資がある。
そしてもう一つ共通点がある。マルケッティ定数で見た「1日の移動時間はどんな時代もおよそ1時間で一定」という法則は、これらの古代都市にも当てはまる。徒歩が主な移動手段だった時代、都市の実質的な広がりは半径数kmに収まらざるを得ず、だからこそ人口100万人という数字は、面積を広げるのではなく密度を極限まで上げることでしか達成できなかった。ローマの集合住宅(インスラ)が何層にも積み上がっていたのも、江戸の裏長屋が過密だったのも、同じ移動時間の制約の産物だ。
結論。一極集中は現代特有の病理ではなく、人類が繰り返し選んできた都市の形だ。ただしその集中は、常に穀物船や運河、あるいは大名行列といった、脆さと表裏一体の巨大な支援装置の上に成り立っていた。
次回は、この一極集中を支えた装置そのものが、なぜ崩壊の引き金にもなったのかを見る。ローマも長安もバグダッドも、絶頂からの転落は驚くほど急速だった——都市の墓場効果と兵站の限界から、その理由を追う。
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