1972年、Atariの『Pong』が世界初のアーケードゲーム産業を生んだ年として記憶されている。だがその数ヶ月前、ブッシュネルは別の会社の展示会で、すでに動く「卓球ゲーム」を見ていた。
「独創の発明者」として語られるブッシュネルが実際には何を見てからPongを作ったのか、Pongより先に発売されていた家庭用ゲーム機Odysseyの実売数、そして70万ドルの和解金から始まった特許ライセンスが、その後20年で1億ドル超の収入装置になったという構造を、一次資料で確認する。
1970年10月、アメリカでカラーテレビを持つ世帯は2,620万。1971年7月時点で普及率は約48%、1972年には年間販売台数で初めてカラー受像機が白黒受像機を上回り、1973年には普及率が過半数を超えたと推計されている。10年の後半、1978年9月には81%、1979年9月には83%に達し、「テレビは色がついている」ことがほぼ全家庭の前提になった。
同じ時期、娯楽の供給側にもう一つの変化が起きていた。1972年11月29日、Atariが『Pong』をカリフォルニア州の酒場Andy Capp's Tavernに試験設置する。他の筐体が1日平均10ドル前後だったのに対し、Pongは約40ドルを稼いだと伝えられ、注文が相次いだ。1973年には2,500台の受注を抱え、1974年末までに8,000台超、最終的には35,000台以上を売り上げた。この成功が、以後数十年続く「アーケードゲーム産業」の起点として記憶されている。
「Pongがアーケードゲーム産業を生んだ」という部分は正しい。だが「ブッシュネルが独創でそれを思いついた」という部分には、検証の余地がある。
1972年5月、当時Nutting Associatesに勤めていたノーラン・ブッシュネルは、カリフォルニア州バーリンゲームで開かれたMagnavoxの新製品発表会に派遣された。そこで披露されていたのが、Ralph Baerが開発した家庭用ゲーム機「Odyssey」だ。収録タイトルの一つ「Table Tennis(卓球)」をブッシュネル自身が実際に操作したことは、複数の資料が記録している。
Odyssey自体は1972年9月、Pongの発売より2ヶ月早く市場に出ていた。価格99.95ドル。発売1年目の1972年だけで6万9,000台、1975年の生産終了までに累計35万台を売り上げた——「世界初のテレビゲーム」としての実績は、家庭用機の方が先に積み上げていた。
家庭用ゲーム機は、アーケードゲームより先に、すでに家庭に届いていた。Pongが生まれる前から。
Odysseyが先に家庭へ届いていたにもかかわらず、一般に「テレビゲームを生んだ人物」として記憶されたのはブッシュネルだった。理由は単純で、Pongの商業的成功がOdysseyよりもはるかに大きく、速く、目に見える形で広がったからだ。コイン1枚ごとに収益が積み上がるアーケードの仕組みは、Odysseyの一括売り切り方式より利益構造が強く、同業他社による「Pongクローン」が一気に市場を埋めていった。
「酒場で生まれた偶然のヒット」という成功譜は広く語られたが、その成功の出発点に、競合企業の展示会で見た実機があったという経緯は、同じ熱量では語られてこなかった。
1971年3月、Baerは自身の発明について世界初の家庭用ゲーム機特許を出願していた(Pongが酒場に置かれるより1年半以上前)。1974年4月、Magnavoxと特許の開発元Sanders Associatesは、Atari・Bally Midway・Allied Leisure・Chicago Dynamicsを特許侵害で一斉に提訴する。Sandersが1966年から残していたOdysseyの開発記録が、Baerの先行性を裏付ける証拠として使われた。
ブッシュネルは法廷で争わず、1976年に和解する。Atariが支払った和解金は70万ドル、そしてMagnavoxの最初のライセンシーとなった。この一件を起点に、Magnavoxはその後20年間でAtari以外の複数メーカー(Mattel・Coleco・Activision等)からも特許侵害訴訟を通じて合計1億ドル超のライセンス収入を得た。
「独創の発明者」という称号は、法廷では争われなかった。70万ドルの和解金は、争わないことの価格だった。
1970年代前半は、カラーテレビという「見える娯楽のハード」が過半数の家庭に浸透し、同時にアーケードゲームという「新しい娯楽のソフト」が生まれた時代として記憶される。だがその出発点にあった「誰が最初に発明したか」という最も基本的な問いへの答えは、一般に語られる起業神話と、特許訴訟の記録とで食い違う。
Pongを生んだのは、酒場での思いつきではなく、半年前に見た競合の実機だった。そしてその経緯は、裁判と和解金という形で、歴史に記録として残った。この連載は次回、さらに10年遡る。1960年代、テレビがまだ黒一色で、NBC・CBS・ABCの3大ネットワークが視聴率を独占していた時代だ。前回扱った1980年代のゲーム機バブル崩壊と任天堂の再生、1990年代のレンタルビデオ帝国の崩壊とあわせて読むと、新しいメディア・制度は常に前の時代の不信・空白・そして時には先行者の発明を踏み台にして登場するという、この連載を通じた一つの法則が見えてくる。続きは次回。
本記事の要約・引用元。
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