所得や学歴が親から子へ伝わることは、経済学ではよく知られている。英国の30年超パネルデータで、幸福度もまた伝わることが直接確認された——ただしその伝わり方は、お金とも学歴とも違う法則に従っていた。
英国BHPS/Understanding Societyの30年超パネルデータを使い、親子を「同じ年齢の時点」で比較するという新手法で測った、幸福度の世代間相関の実測値。所得・学歴の相関係数との比較、比較の設計を変えるだけで数字がほぼ倍になるカラクリ、そして幸福の"水準"だけでなく"変化の仕方"まで遺伝している証拠まで。
親の所得が高い家庭の子は、所得が高くなりやすい。親の学歴が高い家庭の子は、学歴が高くなりやすい。この「世代間相関」は経済学で繰り返し測定されてきた、いわば定番の指標だ。
Fleury & Gilles(2018)のメタ分析によれば、教育の世代間相関係数はおよそ0.15。Corak(2013)のレビューでは、所得の相関係数は国によって0.15〜0.50の幅で報告されている。だが、これらはあくまで「経済的な結果」の遺伝であって、人が実際にどれだけ満たされて生きているかというwelfareそのものの遺伝ではない。
Clark & Lepinteur(2026, IZA Discussion Paper No.18760)は、この空白を埋めるために、英国の長期パネル調査BHPS(British Household Panel Survey)とその後継Understanding Societyの30年超のデータを使い、生活満足度と心理的苦痛(GHQ、12項目版General Health Questionnaire)という2つの主観的指標について、親子間の相関を直接測定した。
親子2,293組・観測8,960件のサンプルで、親のGHQスコア(心理的苦痛)と子のGHQスコアの相関係数は0.107。統計的に有意。
親子1,098組・観測2,892件のサンプルで、生活満足度の相関係数は0.118。GHQとほぼ同じ大きさに落ち着く。
同じ調査・同じ家族を使って計算した所得(対数)の相関は0.141、教育年数の相関は0.325。幸福度の相関(0.107〜0.118)は、これらよりはっきりと小さい。
幸福は遺伝する。ただし、お金や学歴ほど強くは遺伝しない。これが本研究の最初の発見であり、同時に「経済的な世代間移動性だけでは、幸福の世代間移動性を測れない」という含意の出発点になる。
ここからが、この論文が本当に注意深く作られている理由になる。既存の親子相関研究の多くは、同じ調査年に親と子を一緒に聞き取る。だがその瞬間、親はたいてい50代・60代、子は20代・30代——まったく違うライフステージの人間同士を比べていることになる。
幸福度も所得も、年齢とともに変化する(たとえば所得は50代でピークを迎えやすい)。年齢を揃えずに比較すると、「親子の類似性」と「年齢による変化」が混ざり合ってしまい、相関係数が本来より大きく出る——これを著者らはライフサイクルバイアスと呼ぶ。
Clark & Lepinteurは、30年を超えるパネルデータの強みを使い、親と子が同じ年齢だった時点のスコアを取り出して比較する「ダイアド設計」を組んだ。その効果を確かめるために、同じ家族データを年齢を揃えずに(単純に全期間の平均で)計算し直すと、何が起きるか。
年齢を揃えるかどうかだけで、相関係数はほぼ倍になった。心理的苦痛は0.107→0.224、生活満足度は0.118→0.244。そして所得に至っては0.141→0.407と、実に3倍近くに膨らむ。同じ家族、同じデータ、変えたのは比較の設計だけだ。
この「比較群の設計を疑う」という論点は、SURPLUSがJカーブ神話の崩壊※や2010年の緊縮財政研究のExcelミスで繰り返し扱ってきたテーマと同じ系譜にある。ここでの教訓はシンプルだ——幸福の世代間相関がこれまで「もっと大きい」と報告されてきたとすれば、その多くは年齢を揃えていない研究だった可能性が高い。著者らも、Johnston et al.(2013)など年齢比較可能性に部分的に配慮した少数の先行研究ほど、相関係数が小さく出る傾向を確認している。
※ 「適量のお酒は体にいい」というJカーブ神話が、比較群の設計(元飲酒者の混入)によって作られていたという話は、本サイトの別記事で扱っている。
年齢を揃えた上で、幸福度の世代間相関はどこまで「所得」や「教育」で説明できるのか。著者らは回帰分析で、変数を1つずつ足しながらこの相関を分解していく。
所得は媒介するのに学歴はほぼ媒介しない、という非対称の理由を著者らはこう説明する——同じサンプルの中で、幸福度は学歴よりも所得との相関がずっと強い。学歴自体は親子でよく伝わる(相関0.325)のに、その学歴が幸福度に変換される経路が細いため、幸福の遺伝を説明する力を持たない。
経済的な地位が丸ごと伝わっても、幸福の伝達は消えなかった。所得・学歴・婚姻・健康という「観測可能な条件」をすべて揃えてなお約3割の相関が残るという事実は、選好や心理的特性といった、統計に映らない何かが伝わっている可能性を示唆している。
所得や学歴の世代間研究では、「恵まれた親ほど子を下方移動から守る」という異質性がしばしば報告される。幸福度でも同じことが起きているのか、著者らは親の性別・親子の性別一致・年齢差・教育水準・所得水準・婚姻状態など複数の軸で検証した。
結果は——頑健な異質性は、ほとんど見つからなかった。年齢差との交互作用は心理的苦痛と生活満足度で符号が逆に出るなど、指標間で一貫性を欠き、統計的に有意な交互作用もまれだった。著者ら自身、この分析はサンプルを細かく割るぶん検出力が落ちるため「探索的」と位置づけ、異質性が存在しないと断定はしていない。
所得や学歴の格差が「有利な家庭ほど有利さを増幅する」という構造を持ちやすいのに対し、幸福度の伝達はどうやらもっと一様に、家庭の経済力とは独立に働いているらしい。これは「豊かさとGDPが逆に動くとき」で扱った非対称性のテーゼとは違う種類の話であり、「幸福の遺伝は、経済力の遺伝と同じ設計図では動いていない」という本記事全体の主張を補強する一点になる。
最後に著者らは、パネルデータならではの分析に踏み込む。同じ親子ペアを複数の年齢で繰り返し観測できることを利用し、「親子ペア固定効果」というモデルで、家族ごとの時間を通じて変わらない要因をすべて取り除いた上で、変化そのものの相関を調べた。
家族固有の「地の性格」を除いても、親のコンディションの上下動が、同じ年齢の子のコンディションの上下動と結びついている。生活満足度でも同方向の関連はあったが、観測期間が短く分散も小さいため統計的に有意には至らなかった。
つまり伝わっているのは、幸福の平均的な「高さ」だけではない。人生の出来事にどう反応し、どう立ち直るかという変化のパターンそのものも、世代を超えて似てくるらしい。
経済的な世代間移動性からは、幸福の世代間移動性を推測できない。これが著者らの結論だ。所得や学歴がどれだけ「上向き」に動いても、それだけで子の幸福が同じだけ上向くとは限らない。GDPに載らない豊かさや点数に出ない自由と同じく、幸福もまた、経済統計の代理変数だけでは測りきれない一本の系譜として、静かに親から子へ流れ込んでいる。
本記事の要約・引用元。数値は各文献の概算値に基づく。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
Amazonのアソシエイトとして、meclGGは適格販売により収入を得ています。