2009年、心理学者スコット・ウィルターマスとチップ・ヒースは、行進や合唱のように人を「同期」させる活動が、その後の経済ゲームでの協力行動を高めることを示した。軍隊の行進、教会の斉唱、企業の朝礼体操——これらの儀式が生き残ってきた理由を説明する知見として、以後広く引用されてきた。だが、この効果を独立に検証しようとした研究者たちが最初に見つけたのは、協力の高まりではなく、「実験者が結果を知っているかどうか」という別の変数だった。
Wiltermuth & Heath(2009)の3実験(N=30・96・105)の全貌から、Schachner & Garvin(2010)の追試失敗、Rennung & Göritz(2016)の60研究・N=4,327のメタ分析が明らかにした実験者バイアスの構造、そしてAtwood, Schachner & Mehr(2022)が発見した「一度も同期して歩いていない人の予想」が本物の実験結果とほぼ重なっていたという事実までを追う。
なぜ軍隊は、機関銃の時代になっても行進の訓練をやめないのか。なぜ宗教儀式には、決まって斉唱や唱和が組み込まれているのか。歴史家ウィリアム・マクニールは、こうした「筋肉の絆(muscular bonding)」——身体を他者と時間的に揃える経験——が、集団の結束を高めてきたのではないかと論じた。この発想に実験的な裏付けを与えたのが、スタンフォード大学のスコット・ウィルターマスとチップ・ヒースが2009年にPsychological Science誌に発表した「Synchrony and Cooperation」だ。3つの実験を通じて、他者と動きを同期させた人は、その後の経済ゲームで、たとえ自分の取り分を犠牲にする場面でも、より多く協力するという結果を報告した。
この論文は心理学の入門書や組織行動論の教材で繰り返し引用され、「同期活動はフリーライダー問題への進化的な解決策だったのかもしれない」という壮大な仮説の証拠として扱われてきた。だが発表から1年と経たないうちに、この知見を素直に追試しようとした研究者たちは、思わぬものにぶつかることになる。
原論文の3実験は、いずれも同じ論理で組み立てられている——参加者を同期条件と非同期(または統制)条件に分け、その後、金銭を伴う協力ゲームをプレイさせる。
3人1組で構内を歩かせ、片方には歩調を揃えさせ、もう片方には普通に歩かせた。その後、6ラウンドの「Weak Link」ゲーム(自分の取り分が、グループ内で最も低い数字を選んだ人に引きずられる、協力の期待値を測る経済ゲーム)をプレイさせたところ、同期して歩いた組は初回に選ぶ数字が有意に高く(平均5.4 対 3.6、効果量d=1.29)、「つながりを感じた」(d=0.96)・「信頼した」(d=1.25)の評価も高かった。ただし「幸福感」には条件間の差がなかった。
3人1組でカップを手に「オー・カナダ」を聴かせ、①黙って読むだけ、②声を揃えて歌う、③歌いながらカップも同期させて動かす、④各自バラバラのテンポで歌う、の4条件に分けた。同期条件(②③)は非同期条件より協力的な選択をし、受け取った報酬も高かった(平均$5.57 対 $4.90〜$4.79)。興味深いのは、「歌うだけ」と「歌う+動かす」の間に差がなかったこと——筋肉を使った動きの同期は、声だけの同期に何も上乗せしなかった。
実験2と同じ同期操作の後、5ラウンドの公共財ゲーム(自分の取り分を犠牲にして共有口座に拠出するほど、グループ全体の取り分は増える、典型的な「ただ乗り」のジレンマ)を行わせた。非同期条件は回を重ねるごとに拠出額を減らしていったが、同期条件ではその低下が起きなかった。「同じチームだと感じた」という自己評価が、この持続的な協力を部分的に媒介していた。
3実験とも、同期は「幸福感」を高めなかった。研究チームが強調したのは、この効果が高揚感によるものではなく、社会的な結びつきの実感を通じて起きているらしいという点だった。
2010年、心理学者アデナ・シャクナーとローレン・ガーヴィンは、実験3で使われた同期操作を、2回にわたって独立に追試した(国際音楽知覚認知学会でのポスター発表)。手続き上の最大の違いは一つだけ——今度は、参加者と接する実験者自身が、どの参加者がどの条件に割り当てられているかを知らされていなかった。
結果、協力・同調行動・信頼・類似性の感覚・「同じチームだと感じる」評価のいずれにおいても、同期条件と非同期条件のあいだに差は見られなかった。手続きはほぼ同じ、変えたのは「実験者が条件を知っているかどうか」ただ一点。それだけで、原論文が報告した効果は消えた。
なお、この追試は学会発表用のポスターであり、査読付き論文としては公刊されていない。単独の証拠としての重みはその点を割り引いて読む必要があるが、後述するように、同じ構造の指摘は査読済みのメタ分析でも繰り返されている。
個々の追試だけでは、たまたま外れたサンプルという可能性が残る。2016年、心理学者マリコ・レヌングとアンヤ・ゲーリッツは、公刊・未公刊を含む60件の同期実験(統制条件を1つ以上含むもの、総N=4,327)を統合するメタ分析を行った。全体としては、同期が向社会性(態度・行動の両方)を中程度に高めるという結果だった。
だがここで、レヌングらは実験者の知識状態で研究を仕分けた。「実験者が参加者の条件を知らなかった」と明記されている研究に限定すると——協力"行動"への効果は、ゼロと統計的に区別できなくなった。一方、「仲間だと感じる」といった自己申告の"態度"への効果は、実験者バイアスを取り除いてもなお残った。効果が消えたのは行動だけであり、態度は生き残ったという、非対称な結果だった。
この分析が突きつけた数字はもう一つある。Atwood, Schachner & Mehr(2022)がレヌングらの分類基準を使って見積もったところ、公刊された同期研究のうち、実験者が参加者の条件を知った状態で実施されたものはおよそ75%にのぼる。心理学の実験者期待効果は、345研究のメタ分析で平均d=.70という決して小さくない大きさが報告されており(Rosenthal & Rubin, 1978)、この文脈でも無視できる要因ではない。
2022年、Atwood・Schachner・Mehrはさらに踏み込んだ問いを立てた——参加者は最初から、「同期して歩けば仲良くなるはずだ」という予想を持ち込んでいるのではないか。彼らは事前登録した実験で、216人の参加者に、ウィルターマス&ヒース(2009)の実験1のシナリオ(構内を同期して歩く/普通に歩く)を"文章で読ませるだけ"にした。実際に歩かせず、「そこに参加した人たちはどう感じると思うか」を予想させたのだ。
参加者は、同期条件のほうが「つながりを感じる」「信頼する」「同じチームだと感じる」と予想した——原論文で実際に歩いた人たちが報告した差と、統計的に見分けがつかない大きさだった。しかも、原論文で唯一差がなかった「幸福感」についても、参加者は"差がないはず"だと正しく予想していた。
研究チームは原著者ウィルターマス本人から実験1の生データの提供を受け、想像条件と体験条件を直接比較する回帰分析を行った。つながり・信頼・類似性・同じチーム感・幸福感のいずれについても、"想像しただけ"の予想と"実際に体験した"効果の大きさに、統計的に有意な差は見られなかった。
同期して歩いた経験がなくても、人は「歩けばこう感じるはずだ」という予想を、驚くほど正確に言い当てられた。その予想の正確さそのものが、実験結果が体験の産物なのか、期待の産物なのかを見分けにくくしている。
この「期待効果」説に対して、2023年、心理学者バハル・トゥンチェンチらのグループが査読誌上で反論した。彼らの主な武器は、実験者バイアスにも参加者の文化的な期待にも汚染されようがない研究群だ。たとえばCirelli, Wan & Trainor(2016)は、生後14か月の乳児を、同期して(あるいは非同期に)大人と一緒に弾んで動かした後、"別の"実験者——弾む課題には立ち会っていない人物——が乳児の「手伝う」行動を測定したところ、それでも同期条件のほうが手助け行動が多かった。人形(パペット)を使って同期を操作した実験でも、乳児が生後12〜15か月ごろから、同期して動く相手により親近感を示す傾向が確認されている(Tunçgenç et al., 2015;Fawcett & Tunçgenç, 2017)。乳児が「同期は仲良くなる合図だ」という文化的通念をどこかで学習した可能性は排除しにくいが、実験者の表情や態度がヒントになりようのない設計で効果が出ている点は、単純な実験者バイアス説では説明がつかない。
Atwood・Schachner・Mehr自身も、この点には慎重だった。彼らの結論は「同期と向社会性のつながりが存在しないことを示した」ではなく、「期待効果が、報告されている効果の"一部"を説明しうる」という限定的なものだ。つまりこの論争は、「同期は効かない」というきれいな結末には至っていない。実験者バイアスと参加者の期待が、効果量をどこまで押し上げているのかという、まだ決着のついていない分量の問題として続いている。
この記事は、行進や合唱が協力行動と無関係だと主張するものではない。乳児を対象にした実験など、期待効果では説明しにくい証拠は確かに存在する。問われているのは、原論文が示した効果量のうち、どこまでが「他者と動きを揃える」という体験そのものによるもので、どこまでが「同期すれば仲良くなるはずだ」という参加者・実験者双方の織り込み済みの期待によるものか、という切り分けの難しさだ。
社会的プライミングで見た「実験者の期待だけが結果を生んでいた」という構図、泥棒洞窟実験で見た「自然発生に見えた対立が、実は運営側の介入の産物だった」という構図と、同期実験は同じ系譜に連なる。視点取得のように「効いた気になる」だけでなく、この一件は「みんなで動きを揃えれば自然に仲良くなった気になる」ことにもコストがある——それは、実験者を結果から遠ざけてみるまで、見えない。
足並みを揃えた人たちが協力的になったのは、動きを揃えたからか、それとも「揃えれば協力的になるはずだ」とみんなが知っていたからか——この二つを見分ける実験は、まだ足りていない。
本記事の要約・引用元。元研究・追試・メタ分析・その後の反論まで両論を併記している。
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