1954年、心理学者ムザファー・シェリフはオクラホマ州の"泥棒洞窟(Robbers Cave)"州立公園で、少年22人を2つのグループに分け、競争が敵意を生み、共通の目標がそれを溶かすことを示した——教科書に載る「現実的葛藤理論」の原点だ。だがこれは実は3回目の挑戦だった。1回目と2回目は、思い通りの結末を迎えなかった。
1949年・1953年・1954年、3回のキャンプ実験の全貌と、Frances Cherry(1995)が発見した「中止理由の書き換え」、Gina Perry(2018)『The Lost Boys』が明らかにした1954年キャンプ内部の演出の証拠までを、時系列で追う。
心理学の教科書や社会心理学の入門書には、決まって同じ実験が登場する。1954年、心理学者ムザファー・シェリフが率いた研究チームは、オクラホマ州の"泥棒洞窟"州立公園で、11〜12歳の少年22人を2つのグループに分けた。互いの存在を知らせないまま1週間ずつ集団を形成させたのち、野球・綱引き・テント設営のトーナメントで引き合わせると、48時間以内に旗を燃やし、相手の小屋を襲撃し、石を溜め込み、相手を罵る即興の歌を歌うまでに敵意がエスカレートした。その後、水道の故障やスタックしたトラックといった「両グループの協力なしには解決できない上位目標(superordinate goals)」を与えると、対立は沈静化した。競争が敵意を生み、共通の目標がそれを溶かす——「現実的葛藤理論(Realistic Conflict Theory)」の実証として、以後70年近く引用され続けている。
だが、この物語には続きがある。シェリフがこの結論にたどり着くまでに、実は同じ種類のキャンプ実験を3回行っていた。教科書に載っているのは、そのうちの3回目だけだ。
1949年、コネチカット州のHappy Valley Campで最初の実験が行われた。少年たちはRed Devils(赤い悪魔団)とBulldogs(ブルドッグ団)という2グループに分けられ、対立自体は生まれたものの、後半に計画されていた「和解」のフェーズがうまく機能せず、研究として完結しなかった。
少年たちはPanthers(パンサー団)とPythons(パイソン団)に分けられた。既存の友人関係を意図的に引き裂いて2グループへ振り分けるという、シェリフの手法が繰り返された。
対立を仕込む段階が始まる前に、少年たちはグループを跨いで友情を築いてしまった。実験者側がその友情を壊し対立を煽ろうとしていることに気づいた少年たちは、互いにではなく大人たちに反発した。実験者を出し抜くために協力し合い、用意されていた競技での対決を拒んだ。
研究は中止された。当時のシェリフ自身の記録によれば、理由は明快だった——少年たちに、実験の企みを見抜かれたからだ。
1995年、心理学者フランセス・チェリーは、著書The Stubborn Particulars of Social Psychologyのなかで、シェリフ自身が残した脚注を精読した。そこで判明したのは、シェリフが後年、1953年キャンプが中止に至った理由の説明を変えていたという事実だ。当初は「少年たちに実験の企みを見抜かれたから」と率直に記録していたのに、のちの説明では「不利な条件」や「研究者側の判断ミス」という、より曖昧で自分に都合の良い言葉に置き換えられていた。
少年たちの賢さが理論の限界を露呈させたという不都合な事実は、時間とともに、当たり障りのない言葉の下に埋もれていった。
この書き換えにより、1953年キャンプはその後シェリフ自身の口からもほとんど語られなくなり、記録は長らく埋もれたままだった。全容が掘り起こされたのは、2018年、心理学者ジーナ・ペリーが著書The Lost Boysで、シェリフ自身のフィールドノートと生存参加者への取材をもとに再構成してからのことだ。
ペリーの調査は、1953年の失敗を掘り起こしただけではない。教科書に載る1954年のロバーズ・ケーブ実験そのものについても、これまで伝えられてきた以上に、スタッフ側の介入が深く関与していたと指摘した。ペリーはこれを"a choreographed enactment"(振り付けされた実演)と呼ぶ。キャンプ管理人「ミスター・マッシー」に扮していたのは、実はシェリフ本人だった。
スタッフは、グループを跨いだ友情が芽生えるのを妨げる場面を作った——1953年の"失敗"を繰り返さないための対策だったとみられる。
スタッフはいたずらをけしかけ、特定のグループに有利になるよう競技を運営するなど、対立を望む方向へ誘導する介入を行っていたと、ペリーは参加者への取材から再構成した。
少年たちは自分たちが実験対象であることを知らされておらず、保護者への説明も「市民育成キャンプ」にとどまっていた。インフォームド・コンセントという概念自体が、当時の心理学研究にまだ根付いていなかった時代の産物でもある。
「自然に生まれた対立」として教科書に載った物語は、実際には、1953年の失敗から学んだ運営側が、同じ失敗を繰り返さないよう手を加え続けた結果だった。
ペリーが取材した生存者のうち、1954年キャンプの正当性を今も擁護する唯一の人物が、シェリフの友人であり当時の研究助手だったOJハーヴェイだ。だが、その場での即興性についてハーヴェイ自身がペリーに語った言葉は、擁護というより、皮肉な自己矛盾の証言に近い。
"We were just making it up as we were going along."(その場その場で、作り上げていっただけだった。)——OJハーヴェイ
固定された台本があったわけではない、という意味での擁護のつもりの発言だったのかもしれない。だがこの言葉は同時に、対立の発生と収束が、あらかじめ決まった自然な力学の産物ではなく、その場のスタッフの裁量によって作られていたことを、期せずして認めてしまっている。
現実的葛藤理論そのもの——限られた資源をめぐる競争が集団間の敵意を生み、共通の目標がそれを和らげるという発想——を、この記事は否定しない。集団間の競争と対立の関連を扱ったその後の研究は、ロバーズ・ケーブ実験とは独立に積み重ねられている。問われているのは理論の生死ではなく、「教科書的な実証イベント」として長年扱われてきた、この一連のキャンプ実験そのものの中身だ。
3回のキャンプのうち、教科書に残ったのは1回だけ。その1回も、内部では入念な演出が重ねられていた。そして、うまくいかなかった回の記録は、時間とともに都合よく書き換えられていた。スタンフォード監獄実験で見た「看守役への事前指導」、社会的プライミングで見た「実験者の期待だけが結果を生んでいた」という構図と、ロバーズ・ケーブは同じ系譜に連なる。自我消耗や視点取得のように、「効いた気になる」だけでなく、「自然に起きた気になる」ことにもコストがある——それは検証してみるまで、見えない。
少年たちが対立し合ったのは、放っておかれたからではない。放っておかれなかったからだ。
本記事の要約・引用元。元研究・批判的な資料研究の両方を併記している。
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