1936年、デール・カーネギーは『人を動かす』で「相手の立場に立って考えよ」と説いた。世界で3,000万部超読まれ続けてきたこの助言を、2018年に心理学者たちが25の実験・のべ1,476人以上で検証した。結果、相手の視点を「想像する」ことは、他人の心を読む精度を上げなかった——むしろ下げることさえあった。
Eyal, Steffel & Epley(2018)の25実験(効果量d=-0.26)と104組のカップル研究(相関.50→.39への逆転)、「自信は上がるが精度は上がらない」という確信のパラドックス、そして誤差率をほぼ半減させた無料の代替策「視点獲得」まで。交渉研究では視点取得が有効というGalinsky & Maddux(2008)との使い分けも整理する。
「相手の立場に立って考えよ」——デール・カーネギー『人を動かす』(How to Win Friends and Influence People, 1936)の中核をなす助言の一つだ。「もし自分が相手の立場だったら、どう感じ、どう反応するだろうか」と自問することが、人間関係の摩擦と時間を節約すると説いた。刊行から90年近く、世界で3,000万部超が読まれ続けている。
心理学の実証研究も、長らくこの直感を後押ししてきたように見えた。交渉研究では、相手の視点に立つ交渉者ほど隠れた合意点を見つけ、双方の利益を拡大できるという知見が繰り返し報告されている。ところが「相手の視点を想像すれば、相手の考えや感情を正確に言い当てられるようになる」という、最も素朴で最も広く信じられている部分——対人的洞察の精度そのものへの効果は、驚くほど検証されてこなかった。2018年、シカゴ大学のニコラス・エプリーらのチームが、この空白を25の実験で埋めにいった。
Eyal, Steffel & Epley(2018, Journal of Personality and Social Psychology)は、「視点取得(perspective-taking)」の指示——「相手の立場に立って考えてから答えてください」——が対人的洞察の精度を上げるかを、25の実験にわたって検証した。
表情や姿勢から感情を推定する課題、作り笑いと本物の笑顔を見分ける課題、嘘を検出する課題、初対面の相手の態度や性格を予測する課題など、対人的洞察を測る確立された心理測定タスクを使用。参加者は幅広い母集団から集められた。
活動の好み、映画やジョークの評価、美術作品への反応、意見、実際の人事評価など、より現実に近い場面での予測精度も検証した。
実験1〜15を通じて、視点取得の指示を受けた群は、指示を受けなかった統制群より不正確だった(効果量 d=-0.26)。事前アンケートでは、ほとんどの参加者が「視点取得は精度を上げるはずだ」と予測していたにもかかわらず、である。
実験25で行われた104組の夫婦・カップルを対象にした研究は、この逆転を具体的な数字で示している。20項目の態度(「できるだけ現金で支払いたい」といった些細な好みから、「人生をやり直せるなら、違う生き方をしただろう」といった重い自己評価まで)についてパートナーの回答を予測させたところ、何も指示されなかった統制条件では予測と実際の回答の相関は.50(平均誤差1.5点、0〜10点尺度)だった。ところが「パートナーの立場に立って考えてから予測してください」と指示された条件では、相関は.39まで下がり、平均誤差は1.7点に拡大した。
相手の立場を想像するよう指示された人は、指示されなかった人より、相手の心を読み違えた。これが25実験を通じた一貫した傾向だった。
では、視点取得の指示は何の役にも立たなかったのか——そうとも言い切れない。視点取得の指示を受けた参加者は、自分自身の視点を相手に投影する「自己中心性(egocentrism)」の傾向が実際に減り、判断に費やす時間も長くなった。想像するという作業自体は、確かに行われていた。
問題は、その作業が的外れの方向へ向かっていたことだ。自分の内側にある想像を掘り下げるほど、相手についての新しい情報が増えるわけではない。相手の実際の考えとは無関係な、自分自身の推測の精緻化に時間を使っていた、というのが実験結果の示すところだ。
さらに厄介なのは、判断への自信が精度を裏切らなかったことだ。研究チームが確認した限り、視点取得条件と統制条件のあいだで、参加者が申告した「自分の予測はどれくらい当たっていると思うか」という自信の水準には、ほとんど差がなかった——実際の精度には大きな差があったにもかかわらず、である。自信と実際の精度の相関はr=.25程度と、この種の実験にしてはごく標準的な低さにとどまった。つまり当たった気になるが、実際には当たっていない。
エプリーらは、代替策も同じ実験デザインの中で検証していた。実験25の104組のカップル研究には、統制条件・視点取得条件に加えて、もう一つの条件が用意されていた——パートナーに実際に質問し、口頭で答えを聞いてから予測する「視点獲得(perspective-getting)」条件だ。回答を書き留めることは許されず、記憶だけを頼りに予測する必要があったにもかかわらず、この条件の参加者は統制条件と比べて誤差率をほぼ半分にまで減らした。
想像するという内向きの作業を、実際に尋ねるという外向きの作業に置き換えるだけで、精度は大きく改善する。研究チーム自身の結論は簡潔だ。
"If you want an accurate understanding of what someone is thinking or feeling, don't make assumptions, just ask."——相手が何を考え、何を感じているかを正確に知りたいなら、思い込みで想像するのではなく、ただ尋ねればいい。
「ただ聞く」は、道具も訓練も要らない、無料の介入だ。生き残った2つの安価な介入や、日々の自制心を使い切らずに済む自我消耗の見直しと同じように、値段のつかない解決策が、値段の高そうな思い込みより優れているケースが、行動科学にはたびたび見つかる。
ここで整理が必要なのは、Eyal, Steffel & Epley(2018)の結果と、冒頭で触れた交渉研究の知見は、実は矛盾していないという点だ。両者は別のタスクを測っている。
つまり「相手の立場に立つ」ことが役立つのは、情報の非対称性を戦略的に埋め、選択肢を設計する場面だ。相手の感情や好みそのものをピンポイントで言い当てたい場面では、想像は的を外しやすい。同じ助言が、使う場面によって効いたり効かなかったりする——「視点取得は万能ではない」という、思ったより狭い効果への着地が、この記事の是正点になる。
カーネギーの助言そのものは、実は「相手の立場を想像せよ」だけでなく「相手の話に耳を傾けよ」という傾聴の勧めも同時に含んでいた。90年の間に一般に流通してきたのは、そのうち「想像する」側面だけだったのかもしれない。25の実験が示したのは、想像は自己中心性を減らしこそすれ、他人の心を正確に読む力そのものは与えてくれないという、地味だが実用的な訂正だ。
相手が何を考えているかを知りたいとき、最初に確認すべきことは単純だ——想像する前に、尋ねる余地は本当に無いか。状況が人を変えるという通説や「科学的に証明された」という言葉の出典と同じく、広く信じられてきた助言ほど、検証してみる価値がある。
相手の心の中を想像で埋めるコストは、見えない。だが尋ねる一言のコストは、ほぼゼロだった。
本記事の要約・引用元。
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