2012年、社会心理学者Amy CuddyのTED講演は「力強い姿勢を2分間取るだけでホルモンが変わり、自信が増す」と語り、TED屈指の再生回数を記録した。だが2015年に行われた大規模な追試はホルモンにも行動にも変化を検出できず、2016年には共著者のDana Carney自身が「効果は実在すると考えていない」と公式に撤回した。
42人を対象にした原論文Carney, Cuddy & Yap(2010)から、その5倍近い200人規模で行われたRanehill et al.(2015)の追試、そして共著者Dana Carneyが2016年に自身のウェブサイトで公表した撤回声明までを、原著者側・追試側それぞれの資料に当たって追う。
面接の前、交渉の前、プレゼンの前。トイレの個室や非常階段で、胸を張り両手を腰に当てる「ワンダーウーマン・ポーズ」を2分間取ってから本番に臨む——そんな「無料の自信ハック」を、一度は耳にしたことがあるかもしれない。
この処方箋の出どころは、2010年に発表された1本の心理学論文と、それを基に行われた2012年のTED講演だった。お金も道具も要らず、2分間だけでいい——この手軽さこそが、企業研修から自己啓発書まで、この説が急速に広がった理由でもある。だが2015年以降の検証は、その土台に何を見つけたのか。原著者側の資料と、追試側の資料の両方をたどる。
出発点は、Dana Carney・Amy Cuddy・Andy Yapが2010年にPsychological Science誌に発表した実験だった。
参加者42人(外れ値として3人を除外し分析対象39人)を、「力強い(expansive)」姿勢と「縮こまった(contractive)」姿勢のいずれかに無作為に割り当て、それぞれ1分間ずつ2種類のポーズを取らせた。その直後、確実に2ドルもらえる選択肢と、50%の確率で4ドルか0ドルになる賭けのどちらかを選ばせたところ、力強いポーズを取った群は86%がリスクのある賭けを選んだのに対し、縮こまったポーズを取った群では60%にとどまった。唾液サンプルの分析では、力強いポーズ群でテストステロン値が上昇し、コルチゾール値が低下したと報告された。
主観的な「パワーを感じる」度合いの自己申告、リスクのある賭けを選ぶかという行動指標、そしてテストステロン・コルチゾールという2つのホルモン値。この3系統がその後の追試でも踏襲される基準になった。
分析対象は39人。1群あたり20人前後という、心理学の実験としても小規模な部類にあたる。
「たった2分間の姿勢が、行動だけでなくホルモンという生理的な水準にまで作用する」——この生理学的な裏付けこそが、単なる気の持ちようを超えた説得力を論文に与えた。
2分間・無料・生理的根拠つき。この3条件が揃ったことで、この説は学術論文の枠を大きく超えて広がっていくことになる。
2012年、CuddyはTEDxで「Your body language shapes who you are(あなたのボディランゲージが、あなた自身を形づくる)」と題した講演を行った。
この講演は公開後、TEDの歴史の中でも屈指の再生回数を記録し、公式サイト上の累計視聴回数は7,500万回を超える。講演の中でCuddyは、自身の研究成果として力強いポーズの効果を紹介し、「2分間、姿勢を変えるだけで人生が変わるかもしれない」という趣旨のメッセージで講演を締めくくった。2015年には、この内容を発展させた著書Presenceを出版し、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに入るなど、複数の主要紙で商業的な成功を収めた。
道具も費用も専門知識も要らず、2分間ポーズを取るだけでいい——この手軽さが、講演・書籍という媒体を通じて職場や自己啓発の現場に爆発的に浸透する条件になった。
面接・交渉・プレゼンテーションの前に実践する「準備儀式」として、企業研修やビジネス書、キャリアアドバイスの定番の一つに数えられるようになった。
生理学的な裏付けを謳う実験結果が、たった一つの講演を通じて数千万人に届いた。学術論文が一般向けメディアという増幅装置を通過すると、検証の途中経過であっても確定した事実のように伝わってしまう。
2015年、Eva Ranehillらのチームが、原論文の約5倍にあたる200人を対象に、より厳密な条件での追試をPsychological Science誌に発表した。
結果、「自分がパワフルだと感じる」という主観的な自己報告は再現された。しかし、テストステロン値・コルチゾール値の変化、そしてリスクのある金銭課題での行動の変化については、統計的に有意な効果を検出できなかった。原著者側のCarney・Cuddy・Yapは同誌上ですぐさま応答し、ポーズの保持時間(6分 vs 1分)や参加者への説明の仕方、行動課題の内容といった、追試と原論文とのあいだの複数の手続き上の違いを指摘した。
「パワフルだと感じる」という主観的な感覚だけは、200人規模の追試でも確認された。
ホルモン値の変化、リスクのある賭けを選ぶかどうかという行動——原論文が「生理学的な根拠」として押し出していた2つの指標は、いずれも検出限界以下だった。
手続きの違いを理由に反論する一方で、この時点ではまだ理論そのものの撤回には至らなかった。
「感じる」は残り、「変わる」は消えた。主観的な気分の変化と、ホルモン・行動という客観的な指標の変化は、切り分けて検証すると別々の運命をたどった。
追試をめぐる論争は、2016年に思わぬ形で決着の一歩を迎える。原論文の筆頭著者であるDana Carney自身が、自身のウェブサイト上に公式な立場表明を掲載したのだ。
Carneyは「power pose効果は実在すると考えていない」「証拠は反証だらけだ」と明記し、「power poseの体現効果について、いかなる信頼も持っていない」「もはやこの効果を研究していない」「他の研究者にもpower poseの研究を勧めない」「自分の授業でもpower poseを教えていない」と、研究・教育の両面から距離を置く姿勢を明らかにした。一方、共著者のAmy Cuddyはこの立場を共有していない。著書Presenceがこの説を土台にしている以上、Cuddy側にとって撤回は容易ではない。2017年にはSimmons & Simonsohn(2017)が34研究のp曲線分析で「証拠価値は乏しい」と結論づけたが、翌2018年にはCuddy, Schultz & Fosse(2018)が対象を55研究に広げたp曲線分析で「明確な証拠価値がある」と反論し、論争は今も完全には決着していない。
同じデータから出発した2人の研究者が、一方は撤回、一方は説の維持という別々の結論にたどり着いた。これは科学の失敗というより、証拠の積み上がり方に対する評価が専門家の間でも割れ続けている、進行中の論争の姿でもある。
パワーポーズが示しているのは、単に1つの心理学実験の追試が思わしくなかったという話だけではない。
共著者本人が撤回声明を出した2016年から10年近くが経った今も、Cuddyの2012年講演はTEDの公式サイトで公開され続け、累計7,500万回を超える再生数を積み上げている。「2分間で自信が変わる」という無料の処方箋への期待値は、撤回声明1本で消えるほど小さくはなかった、ということでもある。効果の有無と、処方箋が語られ・使われ続けることは別の話だ——という構造は、意志力は使うたびに減るのかで確認した自我消耗の顛末や、「役割の力」は、本当に人を変えたのかで見た「見えないコスト」の系譜と、同じ形をしている。
「たった2分間で人生が変わる」という感覚には、抗いがたい魅力がある。だがその魅力の強さと、効果が実在するかどうかは、別の軸で測る必要がある。
本記事の要約・引用元。原論文から、独立した追試、そして共著者自身の撤回声明までを対応させている。
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