馴染みの店が閉店しても、実家が解体されても、GDPの統計にはほとんど何も記録されない。だが行動経済学のデータをたどると、市場価格がつかない資産ほど、失った瞬間の心理的コストがむしろ最大化するという逆説が見えてくる。
市場財を手放すときの心理的コスト(WTA/WTP比2.9倍)と、市場価格のない資産・場所を失うときのそれ(同約7倍)の差、閉店・地域施設の閉鎖・住み慣れた景観の変化という3つの一次研究から見える「測れないほど失うと重い」という非対称性の構造を確認する。
駅前の喫茶店が閉店しても、実家が解体されても、通っていた公園が姿を変えても、GDP統計にはほとんど何も記録されない。市場で取引される財やサービスの生産・消費だけを積み上げるGDPにとって、それらはそもそも最初から値札のつかない資産だった。だが、それを失った本人の喪失感は、しばしば市場価格のついた資産を失うよりもずっと重い。
この非対称性はどこから来るのか。行動経済学の損失回避研究と、場所への愛着に関する近年の環境心理学研究をたどると、「市場価格がつかないこと」自体が喪失の痛みを増幅する条件になっているという、皮肉な構造が見えてくる。
行動経済学の古典的な実験——Kahneman, Knetsch & Thaler(1990)のマグカップ実験——では、被験者にまずマグカップを配り、その後「いくらなら手放すか(WTA=Willingness to Accept)」と「いくらなら買うか(WTP=Willingness to Pay)」をそれぞれ尋ねた。同じマグカップを評価しているのに、WTAはWTPのおよそ2倍に達した。人は、すでに持っているものを失うことを、同額のものを新たに得ることよりも強く嫌う——損失回避(loss aversion)である。
ただし、この「2倍」という数字はあくまで目安であり、しかも「マグカップ」という値札のついた、ごくふつうの市場財の場合の話にすぎない。
Horowitz & McConnell(2002、Journal of Environmental Economics and Management)は、それまで約30年間に発表されたWTA/WTP比較の実験・調査を横断的に集めたメタ分析を行った。結果は明快だった——対象がマグカップやチョコレートバーのような「ふつうの市場財」の場合、WTA/WTP比は平均で2.9倍にとどまる。しかし対象がきれいな空気や地域の景観のような、市場で日常的に売買されない公共財・非市場財になると、この比率は平均でおよそ7倍まで跳ね上がる。
市場で値札がつかない資産ほど、失うときの心理的コストは大きくなる。GDPが数えられるのは市場価格のついた取引だけなので、皮肉なことに、GDPが最初から拾えない資産こそ、失われたときの痛みが最大化する資産と重なる。
この非対称性は、抽象的な公共財だけの話ではない。Christiaanse, Haartsen & Venhorst(2023、Journal of Environmental Psychology)は、オランダ・フリースラント州の8つの地域施設(郵便局・商店・学校など生活インフラ)を対象に、住民が現在利用できている施設への評価と、それが閉鎖された場合の否定的な評価を調査した。結果、施設の主観的な価値は「現在利用可能かどうか」そのものに強く左右され、閉鎖への抵抗感は所有効果(endowment effect)の場所版として機能していることが確認された——単に施設が便利だから惜しむのではなく、「今そこにある」という事実そのものが評価を押し上げていた。
利用頻度や代替施設の有無を考慮しても、「今使えている」という現状そのものへの所有効果は残った。
近隣コミュニティにおけるその施設の社会的な役割が大きいほど、閉鎖への否定的評価はさらに強まった。
閉店した店の経済的価値は、会計上はゼロ——あるいは跡地の再開発でむしろGDPにプラス計上されることすらある。だが住民の喪失感は、その施設が「今あった」という事実だけで発生し、GDPのどの項目にも記録されない。
Albrecht et al.(2007、Australasian Psychiatry)は、故郷を離れて感じる「ノスタルジア(郷愁)」とは別の感情に、solastalgia(ソラスタルジア)という名前をつけた。住み慣れた環境が——干ばつや大規模な露天掘り採掘のような——望まない変化にさらされたとき、その場所を物理的に離れていないにもかかわらず感じる、心の痛みである。オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の干ばつ被災地域と炭鉱開発地域の住民への聞き取りから生まれた概念で、景観の変化そのものが、アイデンティティ・心身の健康・幸福感を脅かしうることを示した。
引っ越しという移動のコストは、家計調査にもGDPにも記録される。しかし「住み続けているのに、場所の方が変わってしまう」というsolastalgiaのコストは、統計のどこにも項目がない。
GDPは、市場で取引される財・サービスのフローを積み上げる指標である。閉店や解体、風景の変化は、そこに値札がついたことが一度もないから、最初からGDPの対象になりえない。しかし損失回避研究が示すのは、まさにその「値札がついたことのなさ」こそが、失われたときの心理的コストを最大化する条件だという逆説である。市場財のWTA/WTP比が2.9倍にとどまる一方、非市場財では7倍に跳ね上がるという差は、そのまま「GDPが測れる範囲の狭さ」と「実際の喪失の重さ」の落差を表している。
GDPには載らない豊かさで見た消費者余剰は、存在する間は静かに私たちの生活を支えている。空き家と保有効果で見た心理は、モノを「手放せない」方向に働く力だった。今回の非対称性はその裏側にある——値札のないものほど、失った瞬間にこそ最も重くのしかかる、という話だ。
潰れた店の経済的価値はゼロでも、あなたの喪失感はゼロにならない。市場価格がなかったことは、その資産が軽かったことの証拠ではなく、むしろ重かったことの証拠かもしれない。
本記事の要約・引用元。行動経済学の古典実験から、近年の環境心理学の一次研究までを組み合わせている。
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