「引退したら、あとはゆっくり休むべきだ」という発想は、多くの文化で自然な前提とされてきた。だが16万人を10年間追跡した中国のコホート研究は、定年後も緩やかに働き続けた人の方が、完全に引退した人より長生きだったという、相関関係を示している。
China Kadoorie Biobankを用いた16万3,619人・10年追跡の研究が示した、「ブリッジ雇用」(完全引退へ移行する前の、緩やかな形での就労継続)と全死因死亡リスクの関連——男性で18%減・女性で21%減という数字、農村部・低所得層でより強く表れた保護効果、そしてこれが因果関係の証明ではないという重要な留保——「働かない自由」だけが答えではない、というもう1つの視点を追いかける。
定年退職は、長年の労働からの解放であり、その後は心身を休め、余生を楽しむべき時期だという発想は、多くの社会で広く共有されている。失業と幸福を扱った記事で見た「働かないことは幸せか」という問いも、基本的には「労働からの解放」がプラスに働くという前提の上に立っていた。
だが、この前提を実証データで検証しようとすると、話はもう少し込み入ってくる。
労働経済学・老年学では、本格的なキャリアから完全な引退へ移行する間の、緩やかな形での就労を「ブリッジ雇用(bridge employment)」と呼ぶ。パートタイム勤務、期間限定の仕事、これまでとは異なる分野でのコンサルティングなど、形態はさまざまだ。米国では、1990年代半ば以降、退職に至る経路の50〜60%がこの形を取ってきたとされる、決して珍しくない選択肢だ。
興味深いのは、既存の研究の多くが、ブリッジ雇用を経験した人の方が完全引退者よりも生活満足度が高く、社会的な交流と達成感を通じてメンタルヘルスにも良い影響があると報告してきたことだ。
この生活満足度の話を、生死に関わるアウトカムにまで広げて検証したのが、China Kadoorie Biobankのデータを用いた大規模コホート研究だ。2004〜2008年時点で法定retirement年齢に達していた16万3,619人を10年間追跡したところ、完全に引退・無職だった人と比べ、ブリッジ雇用を経験した高齢者の全死因死亡のハザード比は、男性で0.82(18%減)、女性で0.79(21%減)だった。
さらに、この保護効果は一様ではなく、農村部に住む人や、社会経済的地位が相対的に低い層で、より強く表れていた。都市部の高所得層よりも、生活資源が限られている層にとって、就労の継続がより大きな意味を持っていた可能性を示唆している。
ここが最初の手がかり。「働き続けること」と「長生きすること」が、この大規模コホートでは緩やかに結びついていた。とりわけ、生活資源が限られた層においてその結びつきが強かった。
失業と幸福を扱った記事で見た通り、「奪われた無職(失業)」と「選んだ無職(早期退職・宝くじ当選による引退)」では、幸福度への影響の符号が逆転していた。今回のブリッジ雇用の知見は、この構図にもう1つの軸を加える——「働くか、辞めるか」という二択ではなく、自分のペースで緩やかに関わり続けるという第3の選択肢にも、独自の価値がありうるということだ。
老人ホームへの入居と自己決定度を扱った記事で見た「環境の中でどれだけ裁量が残されているか」という論点とも重なる。ブリッジ雇用が持つ意味の一部は、収入そのものよりも、社会的な役割・日課の構造・他者との接点が、緩やかな形で保たれ続けることにあるのかもしれない。
この研究は観察研究であり、無作為化された実験ではない。そもそも健康な人の方が働き続けやすいという「健康労働者バイアス」——因果の向きが逆かもしれないという可能性——を完全には排除できない。持病がある人や体力が衰えている人は、そもそもブリッジ雇用という選択肢を取りにくく、結果として「働いていない人」の集団に、もともと健康状態の悪い人が集まりやすい構造がある。
また、このデータは中国という特定の社会保障制度・労働市場・文化的背景を持つ集団のものであり、日本を含む他の社会にそのまま当てはめられるとは限らない。「定年後は働くべきだ」という一律の処方箋を導く研究ではなく、個々人の健康状態・経済状況・価値観に応じた選択肢の1つとして受け止めるべきものだ。
※本記事は労働経済学・老年学に関する学術研究の紹介であり、特定の就労・引退方針を推奨するものではありません。
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