「独居の高齢者=孤独」という等式は、直感的には正しく見える。だが100歳前後の超高齢者を対象にした調査は、この等式が実際には成り立たない場面の方が多いことを示していた。
香港百寿者研究(2021〜2022年)が示した、超高齢者における「孤独」(主観的な寂しさ)と「孤立」(客観的な接触の少なさ)の組み合わせの実際の分布——孤立していないのに孤独な人が38.2%と最大グループだったという発見、そして孤独と孤立が健康にもたらす影響の違い——「一人でいること」自体ではなく、測るべき変数を正しく分ける視点を追いかける。
高齢者福祉の議論では、「一人暮らしの高齢者は孤独である」という前提がしばしば無条件に置かれる。物理的に一人でいる時間が長ければ、寂しさも比例して大きくなるはずだ、という直感は、一見もっともらしい。
だが心理学・老年学の研究は、この2つ——物理的・客観的に周囲との接触が少ない「孤立(isolation)」と、本人が主観的に感じる寂しさである「孤独(loneliness)」——を、はっきり別の変数として扱ってきた。この2つは重なることもあるが、独立に動くことも多い。
香港百寿者研究の第2期調査は、コロナ禍の2021〜2022年に、95歳以上の高齢者120人の家族介護者への聞き取りを通じて、この孤独と孤立の組み合わせを分類した。結果は、「独居=孤独」という単純な等式からは予想しにくいものだった。孤独・孤立ともに高い層は10.7%、ともに低い層は26.7%にとどまり、残る過半数は、どちらか一方だけが高いという状態だった。中でも最大のグループは、孤立はしていないのに孤独を感じている、38.2%という層だった。孤立しているのに孤独ではない層は11.5%だった。
ここが最初の逆説。超高齢者の実に4割近くは、客観的には周囲とのつながりを保っていながら、主観的には孤独を感じていた。「接触の量を増やせば孤独は解消する」という単純な発想では、この層の実態を捉えられない。
孤独と孤立が別の変数であるというだけでなく、それぞれが及ぼす影響の種類も異なっていた。香港百寿者研究では、孤独の評価の方が、心理的な幸福感・自律性・有用感・不安・死への恐怖といった心理的な結果とより強く関連していた一方、孤立は楽観性の低さと関連していた。より広範な高齢者研究の総括でも、客観的な孤立は全死因死亡リスクをより強く予測し、主観的な孤独は心理的な健康状態をより強く予測するという、傾向の違いが繰り返し報告されている。
ここが核心。孤独と孤立は、単に測り方が違うだけでなく、放置したときに深刻化する先が違う。孤立への対策(接触機会の提供)だけでは、孤独という主観的な問題は解決しない場合がある。
住居形態と接触頻度を扱った記事で見た通り、独居か同居かという「箱」よりも、誰とどれだけ接触しているかという「中身」の方が幸福度との結びつきが強かった。今回の孤独・孤立の区別は、この構図をさらに一段階、精緻にする。「接触量」という中身をさらに分解すると、客観的な接触の量(孤立の指標)と、本人がそれをどう感じているか(孤独の指標)は、また別の話になる。
孤食の経験を扱ったArt15の系譜にもつながるこの発見が示すのは、「独りでいる高齢者を助けたい」という善意が、対策を誤ると空振りに終わりかねないということだ。接触の機会を増やす支援(孤立対策)と、主観的な孤独感そのものに働きかける支援(回想療法を扱った記事のような心理的介入)は、別々に設計する必要がある、見えにくい豊かさの二重構造だ。
香港百寿者研究は95歳以上・家族介護者への聞き取りという特殊な集団・手法(N=120)に基づくものであり、より若い高齢者層や、他の文化圏にそのまま一般化できるとは限らない。また、本人ではなく家族介護者からの評価であるため、本人の主観そのものとの間に一定のズレが生じている可能性もある。
孤独と孤立が異なる健康アウトカムと関連するという知見も、多くは横断的・観察的な研究にもとづくものであり、どちらか一方への介入だけで他方の問題まで解決できるかどうかは、まだ十分に検証されていない。
※本記事は高齢者の社会的つながりに関する学術研究の紹介であり、特定の介護・支援方針を推奨するものではありません。
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