週9,000万人という映画の観客動員と、1億9,900万ドルというラジオ網の総収入。どちらも後に二度と並ばれなかった記録だ。だがその記録を作った仕組み自体は、記録が立つのとほぼ同じタイミングで、すでに別の場所へ動き出していた。
1946年の映画動員ピークと1948年のラジオ収入ピークという「数字の絶頂」の裏側で、1938年に提起された反トラスト訴訟が1948年5月に最高裁判決へ到達し、同じ1948年9月にCBSが看板スターの引き抜きを始めていたという、二つの産業に同時進行していた解体の構造を一次資料で追う。
1930年、ラジオを持つ米国の家庭は全体の40.3%にすぎなかった。それが1938年には82%(2,666万6,500戸)に達し、1945年には「ほぼ90%」という飽和点まで届く。わずか15年で、ラジオの無い家のほうが例外になった。
同じ時期、映画館の動員もピークへ向かっていた。映画産業の業界年鑑(Film Daily Yearbook)が集計した週間入場者数は、1945年・1946年・1947年にわたって約9,000万人というほぼ同じ高水準を記録し続けている。当時の人口のおよそ60%にあたる規模だ。1946年の興行収入は、Motion Picture Herald誌の集計で最初の8カ月だけで11億9,080万9,000ドル、年間では商務省ベースの別系列で16億9,200万ドルという、どちらを取っても映画産業史上最大の数字だった。
NBC・CBS・ABC・Mutualの4大ネットワークの広告収入(手数料差引前の総額)は、1948年に1億9,900万ドルへ達した。これは4網の歴史上、最も良い年だったとラジオ史の記録が伝えている。手数料差引後のネット時間売上でも1億3,300万ドルが1948年の「過去最高」で、ローカル局分を含む放送全体の収入は同年に初めて4億ドルの壁を超えた。
家庭への普及率、動員数、広告収入——ラジオと映画という当時の二大娯楽産業は、どちらの指標で見ても1940年代の後半に、それぞれの歴史上最大の数字を記録していた。
ラジオは普及率、映画は動員数と興行収入。指標は違うが、どちらも1940年代後半に「これ以上はない」という頂点に同時に立っていた。
当時の業界の実感も、この数字を裏付けていた。1946年8月のVariety誌は、税収データから当時の実際の動員が週1億人を超えているという主張さえ報じている(以前流通していた7,000万〜9,000万人という数字は「粗い、あるいは架空」のものだったと訂正されたばかりだった、という記述つきで)。どちらの数字を信じるかは資料によって分かれるが、どの立場も「動員は増え続けている」という前提では一致していた。
パラマウント・20世紀フォックス・ロウズ(MGM)・RKO・ワーナーの5大スタジオは、自社で映画を作り、自社の配給網で流し、自社のチェーン館で上映するという垂直統合を組んでいた。「ブロックブッキング」(人気作と抱き合わせでB級作品も買わせる仕組み)によって、どの劇場がどの映画をいつ上映するかまで、スタジオ側がほぼ決められる構造になっていた。
1948年の全米テレビ受像機の普及率は、わずか数%にとどまっていた。広告主からすれば、何千万人もの耳に確実に届くネットワークラジオの番組枠を手放す理由は、少なくとも数字の上ではまだどこにも見えなかった。
垂直統合という構造が映画の記録的な動員を支え、広告主の離脱がまだ起きていないことがラジオの記録的な収入を支えていた。どちらも「このまま続く」と見えるだけの根拠があった。
テレビの普及が本格化するのは1950年代に入ってからだ。だが映画とラジオ、それぞれの絶頂を支えていた構造そのものは、テレビが視聴者を奪いにくる前から、すでに内側から動き出していた。
ペイリーがこの引き抜きに資金を投じた理由は、当時から公言されていた。看板スターをテレビ用に確保しておくためだ。ラジオの収入が歴史上最高の1億9,900万ドルを記録したまさにその1948年に、その収入を生んでいる当の仕組み——看板番組とスター——は、まだ存在すら薄かったCBSテレビのために、すでに買い集められていたのである。CBSはこの後「CBS, the stars' address」というスローガンを掲げるようになるが、それはラジオの看板であり続けるための言葉ではなく、テレビへの乗り換えが完了したことを示す言葉だった。
テレビが映画とラジオの客を奪ったのではない。映画を縛っていた垂直統合は8年前から法廷で争われており、ラジオの看板スターは収入が記録を更新したその年に、経営者自身の手でテレビ側へ移されていた。外からの侵食ではなく、内側からの先取りだった。
1946年の映画動員と1948年のラジオ収入は、どちらも後年のどの年にも並ばれなかった本物の記録だ。しかしその記録は、産業の構造が盤石であることの証明にはならなかった。映画を記録的な動員に導いた垂直統合は、記録が立つ前から司法省に8年がかりで争われており、ラジオを記録的な収入に導いた看板スターは、記録が立ったその年に経営者自身の資金でテレビへ付け替えられていた。
この連載はさらに10年遡り、娯楽が初めて「安く複製・大量消費できる商品」になった1900〜1920年代、蓄音機とニッケルオデオン(5セント映画館)の時代を見る。前回扱った1950年代のテレビ普及とあわせて読むと、「新しいメディアが客を奪う」という物語の前に、いつも先に動いていた別の仕組みが見えてくる。続きは次回。
本記事の要約・引用元。
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