40年近くにわたり、世界の美術鑑定士たちは1人の贋作師にだまされ続けた。技術だけを見れば本物と区別がつかない絵に、なぜ人は「本物」だとわかった瞬間に数百万ドルを払い、「ニセモノ」だとわかった瞬間に価値をほぼゼロにするのか。
絵画の「本物」と「完璧な複製」で評価額が変わる現象を実証した5つの実験(Newman & Bloom, 2012)と、その背後にある心理的本質主義という枠組み(Newman, 2016 / 2019)、さらに「本物」というラベルだけで脳の反応そのものが変わることを示したfMRI研究(Huang, Bridge, Kemp & Parker, 2011)を1本につなぐ。美術品の価値が、モノとしての性質ではなく、モノにまつわる「物語」で決まっていることを、実際の贋作事件とあわせて見ていく。
2010年に発覚するまでのおよそ40年間、ドイツ人画家ヴォルフガング・ベルトラッキは、マックス・エルンストやフェルナン・レジェ、アンドレ・ドランといった20世紀初頭の巨匠たちの「未発見の作品」を描き続け、美術館や個人コレクターに売りさばいていた。彼自身の証言によれば、その数はおよそ300点。2011年の裁判で立証されただけでも14点の絵が合計で約4,500万ドルで取引され、生涯の総利益は1億ドルを超えると見られている。
重要なのは、彼の絵の「技術」そのものが劣っていたわけではないという点だ。当時の一流の鑑定士や美術館の専門家たちが、本物だと信じて購入・展示していた。つまり、絵そのものの物理的な性質や視覚的な出来栄えだけを見れば、贋作と本物の間に決定的な違いはほとんどなかったことになる。
ここが謎になる。絵そのものの見た目がほぼ同じなら、なぜ「本物だ」と信じられている間は数百万ドルの値がつき、「ニセモノだ」と発覚した瞬間に価値がほぼゼロへ転落するのか。この落差は、絵という物体の性質ではなく、その絵にまつわる由来の物語が価値の大部分を作っていることを示唆している。
心理学者ジョージ・ニューマンとポール・ブルームは2012年、5つの実験を通じてこの現象を検証した(Newman & Bloom, 2012)。ある実験では、参加者に2枚のよく似た絵——同じ橋の風景を描いた作品——を見せ、片方のグループには「2人の画家がたまたま同じ景色を別々に描いた」偶然の一致だと伝え、もう片方のグループには「1人が描いた後、それを見たもう1人が模写した」と伝えた。すると、「偶然の一致」だと伝えられたグループはほぼ同じ価値を両方の絵に見出した一方、「模写」だと伝えられたグループは、模写された側の絵を著しく低く、最初に描かれた側の絵を著しく高く評価した。
絵そのものは何も変わっていない。変わったのは「その絵がどう生まれたか」という由来の説明だけだ。さらに興味深いことに、この実験群では、大量生産される工業製品(自動車など)では同様の効果がほとんど見られなかった。絵画のような「唯一の創造行為の産物」として理解されている物にだけ、複製されることによる価値の目減りが強く生じたのである。
最初から大量生産される前提の工業製品には、複製による価値の目減りはほとんど起きない。効果が生じるのは、絵画のように「本来ただ1つしか存在しないはずの物」に限られる。
「偶然の一致」と説明された2枚は同格に評価され、「模写」と説明された2枚は評価が大きく分かれた。差を生んでいるのは絵の物理的性質ではなく、由来をめぐる説明そのものだ。
ここが核心。これは実家を手放せない心理を扱った記事で見た保有効果とは別の現象だ。保有効果は「自分が持っている」という事実だけで価値が上がる現象だが、真正性の効果は、自分が所有していなくても、その物が「唯一の創造行為の産物」であるという由来を持つかどうかだけで価値が変わる。
ニューマンはその後の研究で、この現象を「心理的本質主義」という、より広い枠組みで説明している(Newman, 2016; Newman, 2019)。心理的本質主義とは、人や物には目に見える性質の奥に、その物を「その物たらしめている」目に見えない本質があると人が直感的に信じる傾向のことだ。美術品の場合、この本質は主に2つの経路から生まれると整理される。
その作品が、特定の瞬間に特定の作者によって行われた、二度と繰り返せない一回限りの創造の記録であるという理解。複製は、この「一回性」を欠いていると見なされる。
作者本人の手が実際にキャンバスに触れ、絵の具を乗せたという物理的な接触の履歴。これは心理学で「感染(contagion)」と呼ばれる、対象の由来が物自体に「乗り移る」という直感的な信念と同じ構造を持つ。
贋作は、この2つの経路のどちらも満たさない。ベルトラッキの絵は、鑑定士たちが本物だと信じていた間はエルンストやレジェの「唯一の創造行為」と「本人の手による接触の痕跡」を宿しているとみなされ、高値で取引された。だが真実が発覚した瞬間、同じ絵はその由来を失い、ただの物体へと転落した。
この効果は、単なる「値段の付け方」を超えて、脳の反応そのものにまで及んでいることが、神経科学の実験でも示されている。ホアン、ブリッジ、ケンプ、パーカーは2011年、参加者に一連の肖像画を見せ、それぞれの絵が「本物」か「複製」かを告げながらfMRIで脳活動を記録した(Huang, Bridge, Kemp & Parker, 2011)。実際にはどちらの告知も、絵の真偽とは無関係にランダムに割り当てられていた——つまり、見せられている画像自体は同一でも、告げられる「ラベル」だけが変えられていた。
結果、同じ画像を見ているにもかかわらず、「本物」だと告げられたときと「複製」だと告げられたときとで、脳の特定の領域(内側前頭前野を含む)の活動パターンに違いが見られた。見た目が完全に同一の画像であっても、「本物である」という信念そのものが、脳がその絵をどう処理するかを変えてしまうのだ。
ここが核心。本物とニセモノの価値の差は、市場という外部の制度が恣意的に作り出した虚構ではない。「由来」についての信念が、査定額だけでなく脳がその対象をどう体験するかという一次的な感覚そのものを変えてしまう、という意味で、真正性はかなり深いところまで人間の知覚に根を張っている。
※本記事は美術心理学・神経科学の知見の紹介であり、美術品の投資価値や真贋鑑定の実務的な指針を示すものではありません。
本記事の要約・引用元。ベルトラッキ事件の金額・点数は複数の報道(CNN、BBC News等)および2011年ケルン地方裁判所判決の報道内容に基づく概算。
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