1杯のコーヒー、1本のタバコ。体に良くないとわかっていながらやめられないこの習慣を、経済学は長らく「意志の弱さ」ではなく、将来をきちんと織り込んだ「合理的な選択」として説明しようとしてきた。
依存が生む幸福と、その裏側で進む摩耗を読み解く4つの理論——ベッカーとマーフィーの合理的依存モデル(1988)、双曲割引が生む「内部性」(Gruber & Köszegi, 2001)、快楽的順応(hedonic adaptation)という耐性の構造(Brickman & Campbell, 1971)、それでも嗜好品が日常の幸福感に効いている理由——を1本にまとめ、「体に悪いとわかっていてもやめられない」という誰もが持つ感覚を経済学の言葉で説明する。
世界の成人の1割以上が習慣的に喫煙し、さらに多くの人が毎日コーヒーやアルコールを口にする。健康機関が繰り返しリスクを警告してきたにもかかわらず、嗜好品の消費は簡単には減らない。経済学の伝統的な消費者理論は、人は自分の効用を最大化するように行動すると仮定する——だとすれば、害があるとわかっている行動を続けるのは、理論上は矛盾のはずだ。
この矛盾を「意志の弱さ」の一言で片付けず、経済モデルとして説明しようとしたのが、1988年にゲイリー・ベッカーとケヴィン・マーフィーが提示した「合理的依存モデル」だった。
ベッカー=マーフィーのモデル(Becker & Murphy, 1988)は、依存性のある消費に独特の性質を織り込む。過去の消費量が今日の消費から得られる満足度を高める一方(習慣形成)、消費を続けるほど「耐性」がつき、同じ満足を得るためにより多くの量が必要になる、という二重の効果だ。それでもモデルの核心は、人は将来のコストと便益をきちんと織り込んだ上で、なお現在の消費を選び続けうる、という点にある。将来を正しく見通し、その割引の仕方に矛盾がない限り、依存もまた一貫した意思決定の結果でありうる、というのがこの理論の主張だ。
将来のコストも便益も、今日と同じ割引率で一貫して評価するなら、依存も矛盾のない意思決定の積み重ねでありうる。
将来の値上げが予告されると、合理的依存者ほど「今のうち」に消費を増やす、直感に反する反応をモデルは予測する。
ここが核心。ベッカー=マーフィーの理論が画期的だったのは、依存という現象を精神論(意志力の欠如)からではなく、通常の経済モデル(効用最大化)の枠内で説明しようと試みた点にある。
だが現実の喫煙者・飲酒者の行動は、ベッカー=マーフィーが仮定した完全に一貫した意思決定と、しばしば食い違う。デヴィッド・レイブソンが1997年に定式化した「準双曲割引(quasi-hyperbolic discounting)」モデルは、人が「今日」と「明日」の間の価値の割引を、「明日」と「明後日」の間の割引よりも極端に大きく行う、という現在バイアスを捉える。この構造の下では、「明日からやめよう」と考えていた昨日の自分と、実際に明日になって「今日だけは」と考える今日の自分が、一致しない。
ジョナサン・グルーバーとボトンド・ケーセギは2001年の論文(Gruber & Köszegi, 2001)で、この現在バイアスを喫煙のデータに当てはめ、たばこ税を単なる「他人への迷惑」(受動喫煙という外部性)の是正としてだけでなく、「将来の自分への迷惑」——内部性(internality)——を是正する政策としても正当化できることを示した。他人に課す損害ではなく、自分自身に課す損害を、他ならぬ自分の別バージョンが望んでいなかった、という論法だ。
依存性のある消費が厄介なのは、耐性がついた分だけ元の満足度を取り戻そうとしても、主観的な基準点(ベースライン)自体がその消費水準に合わせてスライドしてしまう点だ。心理学者フィリップ・ブリックマンとドナルド・キャンベルが1971年に提示した「快楽的順応(hedonic adaptation)」——のちに「快楽の踏み車(hedonic treadmill)」として広く知られるようになった考え方(Brickman & Campbell, 1971)——は、人が新しい生活水準に急速に適応し、主観的幸福感が元の水準へと回帰してしまう現象を説明する。
嗜好品の場合、この踏み車はより過酷に働く。摂取をやめれば禁断症状という「マイナス」の落差を経験し、摂取を続けても慣れ(耐性)によって「プラス」の上乗せはやがて消えていく。
つまり、消費量を増やしても長期的な幸福の水準は据え置きのまま、離脱コストだけが積み上がっていく構造になりやすい。
ここまでの議論だけを見ると、嗜好品は「割に合わない依存」でしかないように思える。しかし、ダニエル・カーネマンとアラン・クルーガーが日々の感情を時間帯ごとに測定した研究群(Kahneman & Krueger, 2006)では、コーヒーブレイクや食後の一服のような短い儀式が、その瞬間の感情スコアを押し上げる活動として繰り返し記録されている。ここで測られているのは、依存によって強いられた「消費量」の効用ではなく、一日のリズムに区切りをつける「儀式」としての効用だ。
会話の合間のコーヒー、仕事の休憩の一服——これらは物質そのものというより、立ち止まる許可を自分に与える小さな社会的合図として機能している側面がある。この儀式的な価値は快楽的順応の対象になりにくく、依存の量が増えても大きくは変わらない、という点で、ここまで見てきた「依存の経済学」とは別の回路で幸福に寄与している可能性がある。
合理的依存モデルも内部性の議論も、あくまで喫煙・飲酒という行動の一部の側面を切り取った理論であり、ニコチンや依存性物質そのものが持つ強力な神経学的作用を軽視してよい根拠にはならない。特に未成年期に始まった喫煙は、双曲割引以前に、そもそも十分な情報や将来設計の能力を欠いた状態での意思決定である可能性が高く、"合理的選択"という前提自体が崩れる。
また、たばこ税を内部性の是正として正当化する議論は、低所得層ほど嗜好品への支出比率が高いという逆進性の問題とセットで検討する必要がある。「合理的な依存」という理論は、依存を擁護するためではなく、依存にまつわる政策(課税・警告表示・禁煙外来の補助)を、精神論ではなく行動経済学の言葉で設計し直すための道具として提示されたものだ。
※本記事は行動経済学・依存の経済理論に関する学術的知見の紹介であり、喫煙・飲酒等の摂取を推奨または正当化するものではありません。
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