中世イングランドでは、シャツ1枚が労働者の10日分近い賃金に相当した。服は直され、譲られ、質に入れられ、最後は雑巾として使い切られるまで現役だった。それが「安くて、着なくても困らない」ものに変わったのは、人類史のスケールで見ればごく最近、ここ70年ほどの出来事にすぎない。前回の「その服、1回いくら?」では1着の値段を「1回あたり」で測り直した。今回は同じ問いを、人類史全体の時間軸に置き直す。
「服は高価で長く使うもの」だった時代の実際の数字と、「服は安くて使い捨てられる」時代への転換点。そして、支出の比率が下がったことは、服への関心が薄れた証拠ではなく、同じお金でより多くの服を買えるようになった結果にすぎないという読み替え。
今の値札しか知らない私たちには、服がかつてどれほど高価だったか、実感が持ちにくい。
チューダー朝イングランドの宮廷に関する史料研究によれば、使用人向けの麻のシャツは1枚14〜20ペンス程度した。当時の日雇い労働者の年収がおおむね2ポンド(1日あたり2ペンス前後)だったことから単純に換算すると、シャツ1枚が労働者の7〜10日分の稼ぎに相当したことになる。服は手織り・手縫いの手工業品であり、量産という概念そのものが存在しなかった。
だから服は、買ったら終わりの消耗品ではなかった。イングランドでは、擦り切れるまで繕われた服が売買されるだけでなく、遺贈や雇用主から使用人への譲渡という形でも流通し、古着商のギルドが1264年のヴェネツィアを皮切りにフランドル地方の都市にも広がった。貧しい女性にとって、手持ちの服を質屋に入れて当座の現金に換え、次の給料日に買い戻すというのは日常的な資金繰りの手段でもあった。服は「着るもの」であると同時に、ほとんど通貨に近い資産だったのだ。
江戸の町でも事情は似ている。買った古着は着古されると寝間着になり、おむつになり、最後は雑巾に仕立て直されて生地としての寿命が尽きるまで使い切られた。ボロボロになった布はかまどの焚き付けとなり、燃えた灰まで木綿栽培の肥料として売られた。古着の需要と供給はどちらも大きく、1658年(万治元年)には江戸市中だけで古着を扱う業者が約500人いたと伝えられ、享保年間(18世紀前半)には古着屋が1,000軒を超えていたとする記録もある(いずれも江戸東京博物館等の解説に基づく二次的な記述で、原史料の確認は別途必要)。
ここが核心。修繕・譲渡・質入れ・古着市場——これらは「貧しさの工夫」ではなく、服が高価で、簡単には作れない時代の、ごく合理的な資産運用だった。
服が安くなった過程は、なめらかな下り坂ではなく、2度の技術的な断絶でできている。
最初の断絶は18世紀後半のイギリスだ。ジェニー紡績機(1764年頃)と水力紡績機(アークライトが1769年に特許取得)によって、綿糸の生産量は1770年から1790年のわずか20年で約10倍に増えたと経済史の教科書は記す。綿花の輸入量も、1750年ごろの約340万ポンドから加速度的に伸びていった。アークライトの特許は1785年に裁判で無効とされ、以後は誰でも水力紡績機を使えるようになり、競争が綿糸の価格をさらに押し下げた。これが「服を仕立てる生地」を安くした最初の革命である。
2度目の断絶は、生地そのものの素材を変えた。デュポン社が開発したナイロンは1939年10月24日、ウィルミントンで初めて一般発売されると、4,000足のストッキングが3時間で売り切れた。戦時中は軍需(ロープ・落下傘・蚊帳)に転用されたが、戦後の1946年にはポリエステル(商品名ダクロン)が登場。1950年代には綿花の価格高騰と供給不安が重なったこともあり、合成繊維は「流行を追う」ことを多くの人にとって手の届く選択肢にした、と科学史の研究機関は記す。セーターセットやウォッシュ・アンド・ウェアのスーツという、量産を前提にした新しいファッションのカテゴリーがこの10年で生まれた。
紡績機による綿糸の増産は18世紀後半の出来事だが、素材そのものが安価な合成繊維に置き換わったのは1950年代以降にすぎない。人類が服を着てきた歴史の長さを考えれば、この2つの断絶はどちらも、ごく最近の出来事に集中している。
服が安くなった結果を一番素直に表すのは、家計が服にどれだけ払っているかの比率だ。米国では、この数字が120年かけて5分の1以下になった。
米国労働統計局(BLS)のデータでは、家計消費支出に占める衣料費の比率は、1901年の14.0%から1972年には7.8%、2002〜03年には4.2%、2018年には約3%、2021年には2.6%まで下がり続けている。日本でも同じ方向の変化が起きており、総務省統計局の資料によれば昭和40年代(1960年代後半)には被服費が住居費を上回る高い水準(総合消費支出の1割前後)だったのに対し、平成15年(2003年)以降は完全に逆転し、被服費が住居費を下回る状態が続いている。繊研新聞の報道によれば、2022年の被服費(二人以上の世帯・月額9,493円)は前年より増えたものの、10年前(2013年)と比べると19.2%減というのが現在地だ。
ここで直感に反する事実がある。比率が下がったのは、人々が服への関心を失ったからではない。むしろ、同じ金額でより多くの服が買えるようになったからだ。McKinsey & Companyの分析によれば、世界の消費者が1年間に購入する服の数は、2000年から2014年の間に約60%増えた。一方で、1着の服が手放されるまでに着られる回数(clothing utilisation)は、同じ期間で世界全体で36%、中国に限れば70%も減ったと、エレン・マッカーサー財団の報告書は述べている(この数値は前回記事で既に引用した)。
ここが核心。「被服費の比率が下がった」という見える数字は、節約の証拠ではなく、安さが購入量を増やし、1着あたりの出番を減らしたという正反対の実態を覆い隠している。比率のグラフだけを見ていると、逆の結論に辿り着く。
中世のシャツが労働者の10日分の賃金だった時代から、江戸の着物が雑巾になるまで使われた時代まで、服は一貫して「高価で、直して、譲って、使い切るもの」だった。
その状態は、人類が服を着るようになってからの歴史のほとんどの期間で続いていた。紡績機による大量生産は250年前に始まったが、服そのものの素材が合成繊維に置き換わり、「安いから買う、安いから捨てる」というサイクルが成立したのは、せいぜい70年ほど前からだ。人類史を1本の線で引けば、修繕と資産としての服が続いた期間に対して、今の大量消費・大量廃棄のサイクルが占める割合は、ごくわずかな末端にすぎない。
だとすれば、問いの立て方を逆にしてみる価値がある。「今の大量消費が普通で、かつての慎ましさが特殊だった」のではなく、「かつての長く使う服の経済が人類史の標準で、今の使い捨ての経済こそが、数十年しか続いていない特異点」だという見方だ。将来の世代が今の時代を振り返るとき、語られるのは「服を自由に買えるようになった時代」ではなく、「服が歴史上最も安く、最も短く着られた、奇妙な数十年」という評価かもしれない。
ここが核心。比率のグラフが下がり続けているのを見て、「服にかけるお金は減っている」と結論づけるのは早い。本当に減っているのは、1着あたりにかけている時間と手間であって、それは人類史のほとんどの期間、服の値段そのものだったものだ。
本記事の要約・引用元。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
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