2006年、Science誌に載った実験は「複雑な選択は、気を逸らしている間の方がうまくいく」という結果を報告し、世界的に注目された。だが約10年後、同じ条件を最も有利な形で整えて組まれた399人規模の追試は、その効果を見つけられなかった。
Dijksterhuis et al.(2006, Science)の実験設計、Acker(2008)・Nieuwenstein et al.(2015)による再現の失敗、そして原著者側の反論と理論の修正までを、両論併記で確認する。
複雑な決断に直面したとき、じっくり考え抜くよりも、いったん気を逸らして「無意識」に処理を任せた方がいい結果になる——そう聞いたことがある人は少なくないはずだ。この考え方の出どころのひとつが、心理学者Ap Dijksterhuisらが2006年にScience誌に発表した論文「On Making the Right Choice: The Deliberation-Without-Attention Effect」だった。
この研究にもとづく「無意識思考理論(Unconscious Thought Theory)」は、Malcolm Gladwellの著書『Blink』(2005年)などを通じて一般にも広く知られるようになった一連の研究群の中核をなし、大きな反響を呼んだ。だがその後、複数の研究チームが同じ効果を再現しようと試み、結果は一枚岩ではなかった。この記事では、元の実験設計・再現の経緯・原著者側の応答を順に追う。
Dijksterhuis et al.(2006)の実験のひとつでは、参加者に架空の車を選んでもらった。各車には属性(良い点・悪い点)が提示されるが、条件によってその数が異なる——4つの属性だけを提示される「単純」条件と、12の属性を提示される「複雑」条件だ。
属性を見た後、参加者の半数は4分間じっくり車について考える(意識的熟慮)。残りの半数はアナグラムを解く課題で気を逸らされ、車について意識的に考える余地を与えられない(無意識思考)。
単純条件(属性4つ)では、意識的に熟慮した群の方が良い車を選べた。ところが複雑条件(属性12個)では、この関係が逆転し、気を逸らされていた群の方が良い車を選ぶ傾向が見られたと報告された。
この「単純な選択は意識的に、複雑な選択は無意識に委ねた方がいい」という逆転パターンは"deliberation-without-attention効果"と名付けられ、消費者行動や実店舗での購買行動を対象にした追加の研究でも支持されたとして、同じ論文内で4つの実験として報告された。
「複雑な決断ほど、あえて考えない方がいい」という一見反直感的な結論が、査読を経てScience誌に載ったこと自体が、この研究への注目を大きくした一因だった。
2006年の発表以降、deliberation-without-attention効果を再現しようとする研究が相次いだ。だが結果は芳しくなかった。Acker(2008)はすでに複数の追加データとメタ分析を通じて、効果が一貫しないことを報告していた。
決定打となったのが、Nieuwenstein et al.(2015, Judgment and Decision Making誌)による再分析と大規模追試だ。彼らはこれまでに発表された32本の論文・81実験のうち、データが不十分なものや効果が出やすい条件から大きく外れるものを除いた60実験を対象にメタ分析を行った。
結果、有意な無意識思考優位性を報告していたのは全体のおよそ4分の1にとどまり、残る大半は効果を検出できていなかった。しかも有意な効果を報告していた研究の多くは、サンプルサイズの小さい研究に偏っていた——これは、統計的検出力の低い小規模研究ほど、たまたま有意な結果が出やすいという構造上の偏りとも整合する。
そこで研究チームは、自分たちのメタ分析が特定した「最も効果が出やすい条件」をすべて満たす形で実験を設計し、参加者399人という、それまでの個々の研究より一桁多い規模で追試を行った。
結果は、熟慮群と気晴らし群のあいだに有意な差は見られなかった。条件を先行研究にとって最も有利な形に揃えてもなお、効果は現れなかったことになる。
「効果が出やすい条件」をすべて満たしてもなお再現しなかったという点は、単なる追試数の不足や条件の取り違えでは説明しにくい結果だった。
Dijksterhuisはこの再現の失敗を単純には受け入れなかった。Nieuwenstein et al.(2015)のメタ分析について、「すべての先行実験を含めていれば異なる結論になっていたはずだ」と分析対象の選定基準に異議を唱え、「無意識思考の証拠は急速に増えており、広く受け入れられている」と主張した。
その後、Dijksterhuis & Strick(2016, Perspectives on Psychological Science誌)は、無意識思考についての理論を大きく組み直した論文を発表する。ここで焦点が当てられたのは、2006年の実験のような「数分間の気晴らし」ではなく、数ヶ月から数年にわたる長期的な思考プロセスだった。論文は、人が重要な決断や科学的発見に取り組む際、意識的に考えていない間にも思考が進んでいるとする「Type 3プロセス」という枠組みを新たに提案している。
この2つは、同じ「無意識思考」という言葉を使いながら、検証している時間スケールも、検証方法も別物になっている。数分間の実験室実験で示せなかった効果を、数ヶ月単位の実生活の思考プロセスという、そもそも対照実験で検証しにくい対象へ議論を移すことは、理論を守る動きなのか、それとも反証しにくい主張へと組み替える動きなのか——この問い自体は、まだ決着していない。
2006年の実験は、複雑な決断の前に一度距離を置くことの価値を示唆する魅力的な物語だった。だが399人規模の追試を含む再現の試みが積み重なった結果、少なくとも「数分間気を逸らせば複雑な決断の精度が上がる」という具体的な主張を、確立した知見として日常の意思決定に適用するのは難しい。
ひと晩寝かせて考え直す、他の作業を挟んでから決める、といった行動そのものを否定する材料でもない——ここで再現に失敗したのは、あくまで2006年の実験室内で示された特定の効果であり、休息や気分転換が思考に何らかの形で影響する可能性を扱った、別の研究群まで否定するものではない。両者を混同しないことが、この理論を扱ううえでの最低限の注意点になる。
反直感的で魅力的な結論ほど、単一の実験室実験だけでは足場が弱い。大規模な追試を経てなお立っていられるかどうかが、ひとつの目安になる。
本記事の要約・引用元。元論文・再現研究・原著者側の応答を、それぞれ一次資料から確認している。
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