2023年、韓国の合計特殊出生率は0.72——人類史上、国家単位で記録された数字としては最も低い水準に達した。少子化対策に数百兆ウォンを投じても反転しない。この記事では、「産まない」という選択が、家計にとって驚くほど合理的な計算の結果になっている構造を、教育費のデータから追う。
Statistics Korea(韓国統計庁)の出生率データ、家計の可処分所得の14〜20%を私教育費(hagwon)に投じるという教育省統計、そしてTan, Morgan & Zagheni(2016)が提示した「量と質のトレードオフ」という学術的な説明枠組みを軸に、超低出生率という現象を経済学として読み解く。
2018年以降、韓国はOECD加盟国の中で唯一、合計特殊出生率が1.0を下回り続けている国だ。2023年には0.72まで落ち込み、これは国家単位で記録された数字としては世界最低水準とされる。2023年の出生数は23万人で、前年比7.7%減——過去最低を更新した。政府は少子化対策に数百兆ウォン規模を投じてきたが、2025年にはわずかに0.80へ回復したものの、反転と呼べる水準には遠い。
なぜここまで極端な水準に達したのか。文化的な要因や住宅費の高さなど複数の説明が並存するが、この記事では特に「教育費」という一本の糸を辿る。子どもを持つこと自体は多くの人が望んでいるにもかかわらず、実際に持つ子どもの数を減らすという選択が、家計にとって合理的な計算の結果になっている——その構造を確認する。
韓国の私教育産業(hagwon、塾・予備校)は、世界的に見ても異例の規模に達している。
韓国教育省の統計によれば、2024年の私教育費総額は約29兆2千億ウォン(約3.2兆円)——過去10年で60%以上増加した。小中高生の約78%が何らかの私教育を受けており、生徒1人あたりの月平均支出は43万7千ウォン(約4万8千円)。韓国の家計は、可処分所得の14〜20%を私教育費に振り向けているとされ、これはOECD諸国の中でも突出して高い割合だ。大学入試(修能・スヌン)という一発勝負に向けて、幼少期から続く教育投資競争が、家計の可処分所得を静かに、しかし確実に圧迫している。
この現象を経済学的に説明する枠組みが、家族の意思決定における「量と質のトレードオフ(quantity-quality tradeoff)」だ。
Tan, Morgan & Zagheni(2016)は、日本と韓国の超低出生率の一因として、大学の序列と労働市場の採用慣行が強く結びついた制度構造を指摘した。良い大学に入れなければ良い職に就けないという構造の下では、親は子ども1人あたりの教育投資を最大化しようとする。子どもの数を増やせば、1人にかけられる教育資源は薄まり、競争で不利になる——この「質を上げるために量を犠牲にする」計算が、家計レベルで繰り返された結果として、国全体の出生率が押し下げられているというのが、著者らの分析だ。論文はこの構造への対抗策として、きょうだいのいる子どもに大学入試で優遇を与える「逆一人っ子政策」を提案している。
「子どもを持ちたくない」のではなく、「1人の子どもに十分な投資ができないなら、持つ数を減らす」という計算。これは非合理な選択ではなく、与えられた制度の下では、驚くほど合理的な家計行動だ。
この教育競争の強度は、出生率という数字だけでなく、若い世代のメンタルヘルスの指標にも表れている。
OECDの「Society at a Glance 2024」によれば、韓国はOECD加盟国の中で自殺死亡率が最も高い国だ。韓国統計庁のデータでは、2024年の自殺者数は前年比6.3%増となり、13年ぶりの高水準を記録した。この背景として、幼少期から続く受験競争の強度と、それに伴う慢性的なストレスを指摘する研究者は少なくない。こうした社会的圧力の強さは、単なる「頑張ればいい」という精神論では説明できない構造的な問題であることを示している。
出生率も、メンタルヘルスの指標も、同じ1つの構造——教育費と労働市場が結びついた過当競争——から生じている可能性がある。
韓国では2011年、恋愛・結婚・出産を諦める「サムポ(三放)世代」という言葉が生まれ、その後、就職・住宅購入・人間関係・希望まで加わって「Nポ世代」へと拡張した。87_genzhopeで見た「悲観は高齢化した先進国に偏る」という構造の中でも、韓国は特に重いポジションにいる——出生率の低さでは世界最低、自殺率ではOECD最高、そして教育費という一点に資源を集中投資せざるを得ない制度設計。これらは別々の問題ではなく、「1人の子どもに全てを賭ける」という同じ計算のロジックから連鎖的に生まれている。
教育・年金・住宅政策の当否を論じることは本記事の範囲を超える。ここでは、統計が示す構造を淡々と並べることに徹した。
出生率0.72という数字は、価値観の変化だけでは説明できない。それは、1人の子どもに賭けるコストが高すぎる社会で、家計が下した合理的な計算の総和でもある。
本記事の要約・引用元。政府統計と学術研究を組み合わせている。
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