アフリカの貧しい少女ロキアの話だけを読んだ人は、平均2.38ドルを寄付した。同じ話に「毎年数百万人が飢餓に苦しんでいる」という統計を1行加えただけで、寄付額は1.43ドルまで下がった。名前のある1人は、統計上の大勢より心を動かす——16年間、教科書に載り続けたこの「身元がわかる犠牲者効果」に、2023年の事前登録追試が突きつけたのは、もっと奇妙な結末だった。
Small, Loewenstein & Slovic(2007)の寄付実験が示した「統計情報を足すほど寄付が減る」という逆説と、その延長にある「バイアスに気づかせる介入が、善意の総量そのものを減らす」というさらに奇妙な結果。そして2023年、これらの効果自体が事前登録追試でほぼ消えたという、「通説を洗い直す」シリーズ最新の一件。
1968年、経済学者トーマス・シェリングは論文「The Life You Save May Be Your Own」で、ある区別を提示した。今まさに助けを求めている名前のある1人(identified life)には、私たちは「不安と感情、罪悪感と畏怖、責任」を強く感じる。だが、統計的な死(statistical death)——安全基準や医療制度の変更で「将来的に何人か救われる/失われる」という話になった途端、その重みのほとんどは消えてしまう、という洞察だった。
この直感を実験で確かめたのが、Small, Loewenstein & Slovic(2007)の有名な寄付実験だ。被験者に5ドルを渡し、Save the Childrenへの寄付を募る。条件は3つ。①マリの7歳の少女ロキアの窮状だけを伝える文章、②「毎年何百万人もの子どもが飢餓に苦しんでいる」という統計情報だけを伝える文章、③ロキアの話に統計情報を付け加えた文章。
結果は直感通りに見える。ロキア単独の条件では平均2.38ドル、統計単独の条件では平均1.14ドル——名前のある1人は、統計上の大勢のおよそ2倍の寄付を集めた。だが本当に奇妙なのはここからだ。ロキアの話に統計情報を「足した」条件では、平均1.43ドルまで下がった。事実を補強したはずの統計情報が、むしろ共感を薄める方向に働いたのだ。
情報を足すと、心が動かなくなる。これは単なる「情報過多で判断が鈍る」という話ではない。統計という「合理的な文脈」が入った瞬間、ロキア個人への感情移入そのものが弱まる——Small達はこれを「かわいそうな1人」から「大きな問題の一部」への意味の書き換えが起きるためだと説明した。
Small達の研究には、もう一段階奇妙な実験がある。被験者に寄付を頼む前に、「人は名前のある犠牲者に統計上の犠牲者より多く寄付する傾向がある」という、まさにこの研究結果そのものを教えてから寄付をお願いしたのだ。理屈の上では、このバイアスを自覚した人は、統計上の犠牲者への寄付を増やして「公平」に近づけるはずだった。
自分が非合理に振る舞っていると気づけば、人はその歪みを補正しようとする——これが行動経済学の「気づかせる(debiasing)」介入に期待される、最も素朴なシナリオだった。
バイアスを教えられた被験者は、ロキアのような名前のある犠牲者への寄付を減らした。しかし統計上の犠牲者への寄付は増えなかった。理性的な情報が、感情による寛容さを"割り引く"方向にだけ働き、その分がどこにも移らず消えてしまった——Small達はこれを「共感と冷淡さ(Sympathy and Callousness)」という論文タイトルそのものの現象と呼んだ。
「人の感情を、統計情報で上書きするのは簡単だ」とSmallは後のインタビューで語っている。この結果は、37_vsl(命の値段が、GDPの嘘を暴く)で扱った「統計的生命の価値」という物差しや、76_sensecost(障害の重さは誰が測っているのか)で見た測定方法による結論の反転と同じ根を持つ——「合理的に測ろうとする行為そのものが、測定対象を変えてしまう」という入れ子構造だ。
ここまでの話は、16年間、行動経済学の教科書やチャリティのマーケティング講座で繰り返し引用されてきた「定説」だった。ところが2023年、Maier, Wong & Feldman が学術誌Collabra: Psychologyに発表した事前登録(preregistered)追試は、まったく違う結末を報告した。
彼らはSmall達の2007年論文のStudy 1とStudy 3を、大規模サンプルで忠実に再現した。結果、身元がわかる犠牲者効果そのものについて効果量 ηp²=.000(95%信頼区間 .000〜.003)——統計的にゼロと見分けがつかない水準だった。前節で紹介した「気づかせるとより冷淡になる」というデバイアス効果についても、ηp²=.001(95%信頼区間 .000〜.012)で、こちらも効果ありとは言えなかった。論文の結論は率直に「効果の不在を示す強い証拠」だった。
追い打ちをかけるように、Maier達は過去の研究を束ねたLee & Feeley(2016)のメタ分析データも独自の頑健なベイズ手法で再解析している。そこで見つかったのは「中程度の出版バイアスの証拠」——効果が出た研究の方が出なかった研究より論文になりやすく、文献全体が実際より強い効果を示しているように見えていた、という構造だった。2024年には別の研究チーム(Majumder et al.)による追試でも、身元の有無や犠牲者の人数による寄付・共感への効果は確認できなかったと報告されている。
「頑健な効果」ほど、実は脆かった。元の2007年論文自体のサンプルサイズは、現代の再現性研究の基準からすると小さい。小さなサンプルで見つかった大きな効果ほど、大規模な追試で縮小・消失しやすいというのは、再現性危機の研究で繰り返し確認されてきたパターンでもある。
これはSURPLUSにとって初めて出会うパターンではない。42_jcurve(「適量のお酒は体にいい」というJカーブ神話)では、非飲酒者グループに元飲酒者が紛れ込んでいたという比較群設計の欠陥が、通説の正体だった。44_choiceoverload(「選択肢は少ない方が幸せ」というジャム実験の神話)では、鮮烈な単一実験と、63条件・5,036人を束ねたメタ分析とで、平均効果量がほぼゼロという結論が正反対に分かれた。
統計的な性質上、サンプルサイズが小さい実験ほど、たまたま大きな効果量が観測されやすい。そうした「たまたま強く出た」結果の方が査読を通りやすく雑誌に載りやすいため、文献全体が実際より強い効果を示しているように偏っていく。
身元がわかる犠牲者効果は、募金活動の実務者にも心理学の教科書にも「なるほど」と腑に落ちる話だった。直感と一致する結果は疑われにくく、大規模な事前登録追試が行われるまでに16年かかった。42_jcurveの「酒は少量なら体にいい」も同様に、長らく疑われなかった通説だった。
身元がわかる犠牲者効果の場合、さらに厄介なのは、原論文の著者自身のより古い研究(Small & Loewenstein, 2003)まで遡って追試しても再現できなかった、とMaier達は報告している点だ。つまり今回消えたのは、周辺的な派生効果ではなく、この分野の出発点そのものだった可能性がある。
学術的な効果の有無が揺らいだからといって、チャリティの現場から「ロキア型」の訴求が消えることはないだろう。募金広告は査読を通す必要がなく、寄付というコンバージョンさえ取れれば十分だからだ。むしろ皮肉なのは、「効果があるかどうか分からない」ことと「使われ続けること」が、何の矛盾もなく両立してしまうという点にある。
SURPLUSがここまで扱ってきたGDPやVSL(統計的生命の価値)は、「本当は測れているはずの豊かさが、数字に映らない」という話だった。身元がわかる犠牲者効果はその裏返しだ——「確かに存在するはずだと誰もが信じていたメカニズムが、測り直すと数字の上に見当たらない」。豊かさだけでなく、私たちが人間の善意について「知っている」つもりのメカニズムそのものが、実はまだ十分に測れていない。
ただし、これは「人は名前のある1人に同情しない」という話でもない。2023年の追試が示したのは、あくまで実験室内の少額寄付という限られた設定での効果量がゼロに近かった、ということだ。現実の巨額の慈善活動や災害報道でロキア型の訴求がなぜ機能して見えるのかは、また別の測定を要する問いとして残っている。
本記事の要約・引用元。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
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